じゅんこさんと話したあと

ずいぶん夜遅くなってしまって

寝ようと思ったのだけど

どうしてかYouTubeを開いてしまった。

すると、YouTubeのレコメンドが

3.11動画を出していた。

わたしはこれを検索したりしていない。

どうして出てるんだろうと思いながらも

どうしても惹かれて観た。

 

これまでは見たくなかったもの。

もちろん全く見たことがないわけではない。

住んでいた地だし

仙台では当たり前に見聞きするし

知人や友人に家や家族を失った人はいる。

よーく知っていることでもある。

 

でも、ガン見を避けていたことも確かなのだ。

ショッキングな映像だから、ではない。

 

胸の奥をえぐられるからみたくなかった。

 

何本も立て続けに見続けた。

 

えぐられる。

なんだかわからないけどハラワタからひっくり返るようなえぐられ感。

 

罪悪感。

 

わんわん泣いた。

これがなんだかはわからない。

でも、すごく中心の号泣、雄叫びに近く感じる。

 

わからないけど、何本も観ている。

くらくらする。

■ (加筆しました)

私は何をやってきたのか、と思う。

これまでの実践は、なんだったのか。

わたし、まったく癒されていないのではないだろうか。

ものすごくものすごく泣きわめきたい。

泣きわめく、というよりも絶叫したい。

それがあるから、出したい、という感じ。

 

どんなにもっともな教えの言葉が並んでも

それではまったく消えない。

癒えない。

どうにも手の施しようがない。

もう、崩れそうなのだけど

自分のために、なんとかふんばってあげたいと思う。