2016.3.23 慈しみの気持ちを持つ

恐れゆえに金銭に愛着をもっている

のはどうして?

小さな狂った考えを信じてしまったために、神を恐れた。

それゆえに、もう神の元へは戻れないので、神以外の世界を作ることにした。(やりたいと望んだことでもあった)

その作り出したものに愛着を持っている。

それは幻想なのだが、自分が作ったもの、と思っているから。

自分が作ったものはかわいいのは、神もわたしたちも同じ。で、愛着を持っている。

ということが、恐れゆえに金銭(神以外が存在するもの、実在とするものとなる世界のもの)に愛着を持ってしまう仕組み。

そうすると、分離思考、が強化され、分離の世界のもの(恐れ、個別性、不安、欠乏感)が現実味を増す。

その愛着を持っている自分自身に対して慈しみの気持ちを持つってことは、

相変わらず自我の声を信じている自分を裁かない、ということか。信じている、と気づくは気づくけど、そこで違うでしょ〜と厳しくなってしまってたんだよね。

選択をやめる、ということには、批判する必要ってないものね。ただ、あーそうだったんだね、とだけじゃなく、慈しみの気持ちを持つ、まで必要なのか〜〜。