2017.10.28

本気の兄弟と話すのはやはりガクガクするし

とてもいいようだ。

何を話すとか全く思い浮かんでもいないまま話し始めたのに

終始ガクガクブルブルしていた。

まさか最近なんとか認める気になったかならないかの

怖かったことを話すとは思ってもいなかった。

薄々気づき始めたのは、多分8月の合宿の頃あたりだったと思う。

もう少し以前は、よく、

「え?独身なの?どうして?勿体無い〜」

とか言われて、うるせーな、自分で決めてそうしてんだよ

と思っていた。

独身でいる、と決めているわけではないけど

そんな状況のようなものがあっても

今はしない、としてきたのは確かにそうだったし

さして結婚というものに魅力も感じていなかったし

コースをやる以前から、取引のようなその関係って

全然めでたくないのに、どうしてみんなそんなにめでたがるのかと

思ってはいた。

だから、これを強がりといえばそうも言えるけれど

正直な気持ちだというのも、思うところだ。

けれども、スピリチュアルを学び始めて

心が問題なのだ

ということにフィーカスし始めてからは

やっぱりそうでしょ、みたいになっていて

そこに、恐や不安は隠れていないかということを見てこなかったと思うのだ。

なんとなく必要性を感じていなかった、ということを

まるでお墨付きをもらったかのように

自分の正当性に使い始めていたように思ったのだ。

兄弟たちの、赤の他人とのパートナーシップのシェアを聞く中で

逃げていたんだな、と思い始め

強がりの正当化もあったなと諦め始めた。

相手に合わせる煩わしさも嫌だった

まるでコントロール下に入るようだ、と思っていた。

いつか失望させるであろうその日が嫌だとも思っていた。

わたしは愛されないであろう、という強い強い信念ゆえ

不安で、怖くて、

心の問題だけなのだという教えを、自分を正当化するために利用していたなぁと

強がりを思っていたことを認めていった。

このことは、なんとなく感じていたことだったから

ここに書く気持ちにあまりなっていなかったし

勉強会でも話す気は無かった。

なんなら恥を晒す感じだし。

だから、突如口からそれが出始めて、おっと、と思った。

自分で字面ではっきり認識してもいないことを

生告白し始めるなんて!

みっともない、とか。

みっともないとか、恥だとかというのもそうだな。

自分をみっともないもの

恥ずかしいもの、恥なものと思っていて

密な関係になると、きっとバレて

相手は去って行ってしまうであろう。みたいな。

随分わたしは自分を蔑んでいる。

そりゃ、投影が必要なわけだ。

昨日話してから、眠くて夜のうちにブログを書くことができないから

明日、祈りのブログに吐き出したいので

わたしを助けて欲しいとお願いして眠ったのだけど

昨夜より深く出てきている感じがする。

すっかり出して焼き尽くしてもらいたい。

 

これを認めていって、今、やはり変わらず特段パートナーを欲してはいない。

そういう人がいてもいなくても別に問題ない。

いることも、いないことも受け入れようと思う。

いてもいなくても、この、内側からのキスは変わらないわけだから。