崩壊

言っていられない、ということが本当に多かった。

というより、ほとんどずっと

言っていられない状態だったように思います。

この旅の初めからずっと。

 

私にとっては、この旅、というのは8日からの撮影だけではなくて

30日の夕方から仙台を本当に離れるということに

身を投じ始めたところからずっとでした。

ここからずっと毎日泣いて過ごしたのだから

のりこさんがショウコは毎日泣いてるなぁと笑うわけです。。。

 

怒涛のうねりが内側にやってきて

これをリアルにする気はサラサラないけれど

連日怒涛なので、もうどうにも、と、のりこさんに打ち明けた。

私は普段、投影を書きなぐって奥まで見ていって

あぁ、やはり私が間違っていたんだな、と泣く、

というところまで繰り返し見続けるということをしているのだけど

旅の最中、次々起きるので追いつかない

いつも通りなんて全くできない。

いつも全員が同じ部屋にいて個室もないので

 全員がいるコタツでいつも全ての話をしていました。

(私に関して言うと、ずっと誰かと同じ部屋で、ダブルベッドでに二人で寝る
ということもあったくらい、本当にずっと一人にならなくて
最後にビジネスホテル宿泊の日にシングルルームだった時は
なんて贅沢なんだろう!!!と思ったくらいでした)

 

そんなところで、こんな自分の自我を晒すなんて恥ずかしい。

でも、言っていられなかった。

兄弟はそれぞれに、それぞれのことをしていたのだけど

私がのりこさんに話を始めると

いつの間にかみんなが聞き始めて

心の中ではプライドズタズタで

恥ずかしいし悔しいしみっともないし、

できることならこんな姿を晒すのはやめたいけど、

もう、言っていられないものだから

そのまま話し続けた。

そして、せめて泣くのは避けたかったのだけど

自分の内から出ているどうしたらいいのかわからない、という叫びが

泣くという形でゴボゴボと吹き出してしまった。

むせるようにしゃくり上げるように泣く、

ということをもうどうすることもできず

ひたすら泣いた。

こんな姿を見せるなんて癪だった。

悔しかった。

みっともなくて、嫌だった。

 でも溢れるように泣くので、もうどうしようもない。

プライドとか嫌だとかいうのも失せて

ただただ泣きました。

自分を泣かせてあげました。

これこそがドキュメンタリーだと、みんなが動画を撮り始めて

3つのiPhoneに撮影されて

それでもこみ上げて溢れてくるので泣き続けました。

これまで随分泣いてきたと思うのだけど

まだこんなに泣きたかったのかと

こんなにもないがしろにしていたのかと。

本当に理論なんかじゃこの道は超えられない。

 

ややしばらく泣いて、自分に

まだ泣きたい?と尋ねてはまだ泣いて、

を繰り返して、ようやくおさまった頃

こんな姿を晒して、見せてしまって癪だ、

というような思考のリアリティがほとんどなくなったことに気づきました。

むしろ、後半は安心して泣いていた気がします。

兄弟たちが見守ってくれて、そのあとシェアを聞かせてくれて

壁がまた一枚崩れ落ちたのを感じた日でした。