信頼

どうして彼女に表を送ったんだろう?

お世話をしてしまったな、と後から思ったけども、よくわからない行動だった。

宿帳は手書きでいいんじゃね?と思っていたけど

最近使っているEvernoteで作れるのか試してみたくて

サクッと作ってみていたものを

一生懸命取り組んでいた彼女に送ってしまった。

 

いつも彼女は、わたしをエルダーと思って尋ねてくれる。

信頼してくれている。

けれども、やりとりをしている中で

これまでも薄っすら見えてはいたけれど

隠し続けておきたかったことというのが浮き上がってきて

それを終わらせるとき、という感じがした。

 

一つには、ダイレクトに聖霊とコミュニケーションすることを避けたい、

または、信頼しない、したくないと実はこっそり思っていて

自分がダイレクトに聖霊とコミュニケーションできる、できていることを否定していたい

どうしてか、そのようにしておくといい、安全と思ってしまっている

ということ。

これをもうやめること。

 

もう一つは、彼女がわたしをエルダーと思ってくれることを、気持ちのいいものみたいなもの、つまり、特別性みたいなものにしていたい

と感じていること

これは少し前にのりこさんが書いていた

ラファエルへのチームメンバーからの偶像化と

それをラファエルも気持ちよくなってしまうことを感じている、ということを読んだときに

ふーっと自分の中に浮き上がってきたことだったのだけど、

このときのやりとりではっきり具体的に自分にみた。

行為者であることにとてもとどまりたいと思っているんだなとすごく腑に落ちた。

 

彼女から話し合いたいと連絡がきて

彼女が話すことを聞きながら

あー、わたしは、わたしが見えていることを全部打ち明けて、終わりにするのだなと感じた。

それは、自我としてはすごく嫌なことのようだった。

 

聖霊との直接のコミュニケーションを深く信頼しよう、というよりも

兄弟の口を通して聞く方が

言い方が良くないけど

楽だというような感じは出るわけで

それは、責任逃れみたいなもののように見えるのだけど

そうしていたい、という欲求のようなものがある

その逃げ道みたいなものを自ら断つようなことを自分の口で自分に言うことになるし、

あなたが慕ってくれて、それを気持ちいいと思ってました、なんて話をするなんて

格好悪いし、

慕われているということや

慕ってくれているということは

いいことだくらいに自我は思っている。

 

でもそれは、通過するだけのものだ。

 

関係が終わるよ、とも自我は言っていた。

でもわたしには、彼女との関係が終わるのではなくて

終わるのは、掴まっていた思考との関係みたいなものが終わるということなだけで

それはむしろ、喜ばしいことだと

はっきりとわかっていたので

彼女に、あなたはもっと

聖霊とコミュニケーションを深める段階だということを大事にしなくてはならない、と

わたしやのりこさんに尋ねてはならないということではなく

でも、聖霊に尋ねて自分に答えがきていることを自分が感じている、わかるのだということを、信頼しなくてはならないよと、

できない人でいようとするのをやめるときだと感じるよと。(自分に向けても言っているなと思っていた)

そして、わたしはあなたが尋ねてくれることを、

気持ちがいいと感じていることを見ていて

それを終わらせたいと、やめていきたいと思う、と。

 

これを話したらどうなるだろう、のような思考が出て

まるで彼女との良好だった関係にピリオドを打つかのようなことのようだ

というテロップが流れたけども

それをはるかに超える信頼があったことを

はっきりと覚えている。

彼女を絶つようなものなわけではなく

行為者というレベルの放棄を選択したということだと少し経って感じた。

 

表を送ったあたりは自我の動きだなぁと思うのだけど

自分自身が明確になるための機会となったこと、

真摯にみつめてくれて

わたしをサポートしてくれた聖霊

感謝でいっぱいです。