下書きの公開(これは11月末に書いたものです)
母に、これまでの「母」という役目に尽くしてくれて
本当にありがとう、と
これからは、もう、「母」でいようとしなくていいよと
〇〇ちゃんとして好きなように生きていいのだよと
昼休みにラインを送った。
そのように浮かんだから。
夕方見ると、ありがとうありがとう
ずっとそばにいてくれて本当にありがとう
と返信が来ていた
私と母の親子関係の終わり、ということが昼にインスピレーションとして
来ていたのは感じていたのだけど
わずかな時間で書いて送信したので
返信が来てから、あぁ、そうだったと思った。
まるで姥捨山にでも母を捨てたかのような思考が怒涛のように押し寄せる。
張り裂けてしまいそうだし、頭が割れそうだ。
長く働いてもらいたい、という会社を断り
自分のやってきたことを処分し
家も家族も
何年も愛用した車も手放すらしい
「私」のあらゆるものが、離れていく。
決断したのは私かもしれない。
でも、ここまでしなきゃならない?
メラノーマが悪性かもしれません、なんて
全く恐ろしくなんかなかったな。
自分が「終わっている」ように感じる。
これは、達成しているという意味ではなく、
終わっている、ということ。
もう、何もない。
何もない。
どうして私はこんなことになっているんだろう