荷造り

1月以来の仙台。

着の身着のまま移住したので

持ち出すものや、整理するものを整理しに

休暇を3日もらって帰った。

時間があまりないので

持ち出すのか、残すのか、処分するのか

という仕分けをさっさとしなくてはならない。

わたし個人としてこのように仕分けしたい、

みたいな考えはある

けれども、無意識に聖霊に任せているような感じで

この時期にこの作業をするってことにありがたさを感じる。

 

この作業をしに行く少し前に

妹がLINEで唐突に

紡ぎ車持ってきたら?

織り機も持ってきたら?

いまはやらなくても、おばあちゃんになったときにやるのいいんじゃない?

と言ってきて

驚いたことがあった。

彼女は当初、全部早く処分しちゃいなよ

お金に換えれるものはとっとと換えれば

と言っていたのだ。

 

わたしの荷物が衣類とパソコンくらいしかないのは

部屋の全てが、仕事道具で

つまりわたしの持ち物というのは

仕事道具しかなかったから

仕事を放棄したなら

もう全部不要物ということになる。

不要なものを持っていていいほどの身分じゃないだろ、

みたいな裁きが自分の中に確かにあったのだ。

彼女が言ってくれたことは

持っていたいから嬉しいとかということではなくて

実際におばあちゃんになったときにやりたいかどうかとか

そのレベルの話ではなくて

ただ、いいんだ、ということを言っているように感じたから。

 

正直、ものとかやることとかには

興味が本当に持て無くなっていることを確認するような作業でもあり

好きだったこと、ではあるので

興味が持てなくなっているということをわざわざ確認するというのは

なんとも言えないものだ。

だから、持って行かなくてもいいもののようにも思う。

でも実家に置いていくという感じがしないものを

荷造りの中に入れるという感じ。

こんなんでいいのかなぁって思うけど

ありがたく思う。