晒し続ける

兄弟のイメージが何度もくるので

その人たちと連絡を密にするというガイドなのかと

のりこさんに相談してみた。

このインスピレーションは間違いだろうけども、と。

のりこさんは、わからないなぁと言う。

それよりもしょうこはいま、表にもっと出るのだと思う、と言う。

表に出る、を瞬時に

表舞台という意味合いに解釈する力動があったので

意味を確認する。

晒し足りない、ということだった。

結構やってると思うけどな。。。

という愚痴は出たけど

毎日コンスタントには、たしかに晒してない。

止まると、しばらく止まってしまう。

止めよう、止めておこうっていう習慣があった。

この習慣を

チューニングしてスピークアップし続ける習慣に切り変えていくことが

いま、望まれていることだなと感じた。

こっちだな、って。

こういう、ガイダンスをかき消したいとき、

自分のことを晒す方向性ではないことを

ガイダンスだなんて言ったりする逃げの手法がある。笑

 

あ、逃げといえば、表現を

〜みたいな、とか

〜なような感じ、とかという

やんわりさせる表現をよく使っていたのを

やめる決断をした。

断言的なはっきりとした表現のみを使うのは

とても避けたかったとわかったけど

切り替えて、注意深くいると

これは本当に自分に宣言することになる。

まだ感覚的なものだけど、

少し違っているのを感じている。