諦め
のりこさんに比べて、
わたしはブログに具体的な話を書いている。
ふとそんな思考に囚われた瞬間
損失だ
恥だ
屈辱だ
くっそー
やってられねー
と飛び出し
そのままのりこさんにメッセージを送って
仕事に戻ってから
ハッとなり
失礼しました、いまのは、
くそーってなってました
と送り直した。
のりこさんから
「負けるためならば、形はいろいろ。
わたしはブログだけじゃなく、アンフィニや真我なるハート、個人セッションetcetc散々たくそんやっているよ」と返信があった。
確かに。。。
「徐々に無防備に裸になっていくレッスンだよね」
ともきて、
本当にレッスンだなと思った。
このブログ(勉強会も)
ただ読んだなら、この人大変だろうなとか
悲惨だなとかいう風にも読めるだろう。
格好悪いのかもしれない。
いや、格好悪い。
格好良くなんて、やれないんだよね。。。
「屈辱だよね」とのりこさんも言う。
「私の2013年〜2014年が
どんだけの連続の屈辱だったか。 笑」と。
「けど、そういう幻想を
本気の目覚めのスタート地点に
仕掛けているものなんだよ。
自分が。」
そうだな、と思う。
わたしの屈辱の連続は、
2017年あたりから始まり、
今も続いているのではないかなと思う。
屈辱に遭遇するたびに
わたしが至るのは諦めで、
諦めて引き退るしかないと脱落すると
まったく頭脳では理解不能なのだけど
救い上げられ
視界が開ける体験をする。
そう、だから、
言い張るのをやめよう
と、これを書きながら改めて思う。