聖霊の道具になるレッスン

そもそも、わたしは神経質で

ちゃんとする、っていうのがすごく強くて

ちゃんとしてたい 笑笑

 

それなのに、ちゃんと正確に話を伝えることを避けていた。(ひとつ前の投稿参照)

 

ちゃんとする、を避けたい。

正確に伝えたくない

隠すつもりではないのかもしれないけど

スルー、隠蔽したり

ふんわりオリジナルにしたりもする

力動が起動する。

そして、それでいい、とする。

もしくは気づかない。

 

ストーリーを正確に語ることが重要なのではない。

重要なのは、歪めないってこと。

 

ひとつ前のブログの投稿のあと

確認してもらうといい感じがしたので

のりこさんにチェックしてもらった。

今まで言わなかったけど、と

以下のことを教えてくれました。

 

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私の中では、相当当たり前になってしまっていることだけど
今まであまりみんなには強調しなかったことは

「いつ どこで 誰が 誰に 何を どう 言動したのかどうか?」
を明確にすることです。

多分、自己概念の保持のため
それを明確にしたくない。という力動が誰の中にも起きるのだろうと思います。

 

少しも歪めずに
事細かに
事実を(幻想内のストーリーと言えども)
申し伝える

もしくは、記事として発信する。

 

これに関する抵抗って
かなり否認され 抑圧されてる。

 

 

神の使者からの引用なのか、ワプニックさんの本からの引用なのか
デイヴィッドの言葉なのか
ムージの言葉なのか

明確にする必要があるのね。

それは、そういうことが常識だからじゃなくて
自分なりに事実を歪めないレッスン、正確に伝達する(聖霊の道具になる)レッスン

なんだよね

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最近ずっと、自分が見るようにガイドされてること、

感じていることそのものだったので

やっぱり、と思ったけど

それは相当ヤバくなる、と己の焦りも見える。

あのブログは、個人的には書きたいものではなかった。

書くように、と強く感じて見つめ、書いてしまった 笑笑

 

 

ラファエルもフランセスも、

デイビッドが言ってた、とか

ケネスが言ってた、JPが言ってた、と

対等に丁寧に扱っているなぁと感じていたことを思い出した。

フランセスがJPの話をしてたのは

わたしはカルチャーショックだったのだけど

それは、自分が気付かされたということを隠してなかったからだ。

 

わたしはブログを始めた頃

もうほとんど覚えていないのだけど、

たしか、「のりこさん」というワードを

ブログに登場させなかった。

避けていたかった。

のりこに

お株を奪われたくない

と思っていたからにほかならず

つまり、己のもの、自分や自己概念

がとても重要だったからだ。

 

見逃さず正直になっていかなくてはな、

と思う。

ふんぞり返りたい己を

それがどんなにコロボックルのように

小さなものでもスルーしない。

 

聖霊の道具になるためのレッスンを

余さず逃げずにやっていきたいと思う。