視界は変わる

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映像の最後の方で、

のりこさんが

『モーフィアスが言っていた

「知っていることと実際に道を歩くことは違う」っていうの

わかる?』

と泣いているわたしに声をかけるところがある。

わたしはこの映画撮影チームに参加するに至るまで

いくつものレッスンを通過してきてはいて

そのことをもって

「概念じゃなく、自分が実際にやってきたことを語るということでしょう?」

と語気強めに言っていた。

やってるよね、わたし。

のりこさんだって知ってるでしょ?

という含みがある。

被害感ありながらも

それでも歩いている、そういう自負のようなものを持っていた。

そして、その自負が月日を経てどんどん崩れてきたものの

あの時点、ヨチヨチではあっても歩き始めていたと

つい少し前まで、そんな風に見ていた。

 

 

でも今、全く視界が違っていて

このときのしょうこに、

声をかけるなら

「おいおーい」となる。笑

たしかに従ってる。よく決断したなと思う。

先延ばしにしなくて偉かった!笑

でも、まだ道を歩いているってとこまではいってなかったんだよねーと

今は思う。

 

このときのしょうこが自分は歩いている、

と思っていたのは

"始まり"くらいで、

まだ「道を歩いている」

と言えるほどまでではなかったなぁと見える。

 

まさか、自分の生業を手放し、得た仕事を辞め、移住をした

その頃のことを

まだだったなーと見える日がくるとは思わなかったなー

これは、その頃よりも

今が大変だから、という比較をもとにした視点による話ではない。

単純に、そう見える、ということで

つまり、視界が変わったということだ。

 

追い詰められて、安全地帯から出ざるを得なくなって

視界が変わる。

まるで脱皮のようだ。

そういえば、カースティンが去年の10月のリトリートの時に

「しょうこは今、芋虫からさなぎになったところで

さなぎっていうのは次は蝶になって飛ぶのだ」

というようなことを言ってくれたことを

今、思い出した。