■(加筆しました)

かなえさんに連絡をした。
出来るだけ話をして自分に思い出させ続けたいんだ、

という意欲で彼女は私にコンタクトをし続けていて

先週連絡をもらっていたのだけど

わたしは文字起こしを急がなくてはならなかったから

終わったら、と伝えていた。

ところが、そうこうしているうちに

わたしは訳のわからない状態になってしまった。

だから、今の状態が終わったらじゃないと話せないな

と思っていたのだけど

自分のことを一旦横に置いて

彼女の話を聴くことが自分にも役に立つ感じがする

と、彼女に連絡をした。

話を聞いているうちに、応えてもいて

それを書き留めておくといい感じがするので

ここに書いておく。

 

これまでは猛烈な怒りや悲しみが溢れてくると

その中にとどまっていることはしたくないし

とどまっていることは浸っていることになると思っていて

理論をもとに(テキストやワークブックの言葉に救いを求めたりして)

外に出ようとし、外に出てそこから見ています、とやっていたんだな

と思う。

今、そのようにしていないからそう見えるのだけど

(6月の時もただ中にい続けたな。。そこらへんから。その前は逃げてたなと思う)

今はただただ猛烈な怒りや悲しみ、自己憎悪の真っ只中に居続けている。

でも、そうしているすごく自分がダメなものように感じる。

圧倒的に自我まみれだな、と。

でも、そもそも実際自分は全くダメだと信じてしまっているわけで

憎悪に値すると完全に信じた雄叫び状態なので

その状態のまま、

これでもこの私をジーザスはどのように見てるのか

教えてもらわないと

全くやっていけない、と感じている。

すごく嫌なんだけど

そんな状態で居続けることも

そんな状態で尋ねることも

すごく嫌なんだけど

今の自分の奥から吹き出ているものは

もうどうしようも手立てがなくて

死しか道がないようにしか見えないのだ。

私は今こんななんですけど、こんなのをあなたはどう見てるんですか?

って、怒りながら、ふてくされながら、嫌々質問する姿を見せながら

になってしまう。

そうすると、そんな状態なのに裁きを感じない。

え?ってなる。

でも。

でも、わたしは受け入れられない、と戻ってしまう。

この繰り返し押し問答のような状態。

 

 

私に求められている選択のようなもの

家族に正直な思いを打ち明け、映画のインタビューに

是非とも、と自分の姿を晒させてもらうこと

の決断は

今の私にとっては

究極の、最終の決断をすること、のように感じていて

(実際にはそうではなくて

別にこの決断をしても

完全に達成となるわけではないのだけども

でも、そのくらいのことに今のわたしには思える)

もう、本当にわからなくて

このまま普通に(笑)ただ暮らして死ぬことを選んでしまうようにさえ思う。

それも仕方ないと言ってしまいたくなるほど

恐ろしいと感じていて

どうしたらいいのかわからない。

そう、なにか、中心地、爆心地、マグマのほぼ近くに居る感じがする。

ど真ん中にいるよりは少しまだズレてるけども、もうほぼ真隣ぐらいにいると感じる。

合ってるかわからない。

でも、そのくらい、以前は感じなかったものを感じている。

 

かなえさんからの、ものすごく怒っているっていうのは

それをどこで見ているの?という純粋な質問に

こんなことをポロポロと話した。

 

話ながら自分は今、こう見えているんだな

ということが整理されたようになって

ありがたかった。