尋ね、祈り、従う

去年、「あなたがこれからどのように生きるのかを2018年の後半から示していきます」

ということを言われて

そうしたらカースティンが来て、ラファエルが来たのだけど

そういったことを

形態レベルで理解しようという普通の力動によって

自然に形態レベルの見方になっていて

さらには、自分が仕事をしようとすると止められたり

やめることになったりということも重なったので

新しい生き方というのは

「仕事をする」という従来の生き方から離れることなのか。。。

というような解釈が起きていたと思う。

じゃぁ、どうやって税金を払うの?みたいな。

ようやく受け取ることができたのは

私がやっていく新しい生き方というのは

私だけではなく、これからみんなが始めることになる生き方で

それは

「尋ね、祈り、従う」

ということなのだ。

それは就業していようが、個人事業だろうが、アルバイトだろうが

どれでもよくて

それらがプロンプトされているかどうか

止まって尋ね、祈り、従うということ。

例えば会社員だとしても

そのメールを今送信するのかどうか、止まって尋ね、祈り、従うということは

全くこれまでと違うわけだし

仕事を探すということにおいても

どの仕事にするのか、誰に相談するといいよといっているのか

どのような方法なのか、どこに行くのか

全てにおいて

止まって尋ね、祈り、従う

祈って感じたインスピレーションが自分の思惑と違っていたとしても

わからなかったとしても

なんとなくこう感じる、ということに従ってみる

スピリチュアルの道だとか、献身ということを

どういうわけかお金を得ないこととか

仕事をしないことというように安直に解釈しがちだけれど

決してそういうことをジーザスは示唆しているわけではないのだと感じている。

極端な形として

その恐ろしく感じるようなことにさえ従っている人たちを見せてくれている

従う、ということは大丈夫なことなのだということを

示してくれているだけなのだ。

そういう私自身も、ジーザスの指示に従って

11月に決まっていた仕事を当日に断り東京に移住した。

私にそれをしたい欲求は皆無だったし

理由もなく

全く意味がわからない。

むしろ、せっかく決まっていた仕事を蹴るなんて損しかないように見える。

でも従ってきて、はっきり分かることは

やはりジーザスの指示に従ってよかった、ということ。

現象として東京に来たら素晴らしい何かを得たとか

宝くじが当たったとか

そういうことは一切ない。

でも、従ってよかった。

言葉では説明できないくらい従ってよかったと分かる。

もっともっと従おう、聞き取ろうと心底思う。