映画プロジェクトのファンクションを通じて
れいさんが今後明らかにしていき、
認めて聖霊に捧げていくといいだろう
という点を
いくつかまとめて
のりこさんがレポートにして
そのレポートをれいさんだけじゃなく、
しょうこ&ようこもいる
4人のメッセンジャーグループを作って
のりこさんがそこでシェアしてくれた。


そのグループメッセンジャーを見たとき、
内容を読んだとき
れいさんのためのグループてなんやねん?
なんでわたしが、ここに参加するの?
なんのために?
のりこさんと連絡取り合ってるんでしょ?
でも、れいさんがそれによって理解が進んでいったら、わたしは追い越される。
抜かれたら、わたしは不要なものになってしまう。


負け=無価値
というのがいつもあったけど
一旦収束してたのに
また再びすごく湧き上がってきて
ヨーコに追い越され、レイさんにも劣り
もう、ビリッカスになるんだ
どうにも価値の無いもので生きていかなくてはならなくなるなんて耐えられない
どうにか価値を持ちたい
と、止めどなく、真実味を持って思考が滞留し始めた


価値あるものでありたい
無価値は嫌だ

 


脳裏になぜかマグダラのマリアの映画が浮かぶ
聖霊が送ってくれているもののように感じる


あのキャラバンの中で、有力なものであろうという意見の戦いみたいなもの
エスが特別な任務を与えてくれるかどうかみたいなもの
それによって価値あるものでいられると彼らは思っていたか?
マリアは思っていただろうか?


有力なものであろうとしているから
価値を作ろうとしているから
のりこの右腕になろうとしているから
うまくいかない感じがしてきて
なにか行き詰まりを感じるのではないかな。


聖霊が連れて行こう、導こうとしているものと不一致だと思う


聖霊はのりこの右腕の価値ある祥子を作りたいのでは無い


聖霊は、祥子が価値を置いていた全てに
価値が無いと通り過ぎて
癒されて
愛されていることを受け入れてほしいと思っているのだ。断固。


だから、わたしがこの世界で価値ある何かをやろうとか持とうとか
それが目的の時、全くうまくいかないのではないかな。。


いい考え、いい意見
わたしのおかげ
手柄
感謝される。。。
こういうことがほしくて、うっすらでも目的になってるんだよいつも。
ここから剥がれ落ち
まったく全てが聖霊によってなされていて
お陰様だとなってないから
行き詰まりを感じてしまう
このところいつも行き詰まってたのはこれだなと身をもって見えてきた


負けることだなぁ


負けるのみ。