願望を押しやらない

佐島で映画の題字を毛筆で書く

ということをラファエルから聞いた時

自分の中に

"やってみたい"

"わたしに書かせてほしい"

という小さな願望があったのだが

しまったままにしていた。

この小さな願望に全く気づかなかった。

 

コラボレーションで、とラファエルのメッセージにはあったのだけど

その後のミーティングで、ラファエルは陽子が書くんだよと言ってる

とのりこさんに言われて

怒りがわいた。

祥子は不要。

と言われてると感じて

は?時間の無い中、準備してるのに

それなら私、行く必要ないじゃん

行かねーよ、とzoomミーティングでブチ切れた。

 

到着すぐ、夜遅い時間にも関わらず

また、ミーティングが始まった。

わたしが、このコラボレーションのことをどう感じているのか

ということだった。

黒子として撮影を支えようと思っているから

実際に書いてみるなどして準備していたんだと再びキレながら話した。

「いや、本当は書きたいと思ってるよね」

と言われて

 

怒りが頂点まで達した。

そんなこと思ってねーし。

何わざわざ無理やりグリグリと引き摺り出そうとするわけ?

サポートするっていう役割果たしたいと思ってるんだよ!

私に何を言わせたいわけ?

ラファエルも陽子も目の前にいるが

怒りを露わにせざるを得ない。

のりこさんと話しているのだけど

ラファエルまでも睨み付けていた。

噛みつく私に、のりこさんもラファエルも

「やりたい」と思っていいんだ、スピークアップしていいんだと

そのように思う、スピークアップする”価値”が

祥子にはある(誰にでもあるのだが)と言い続けてくれていた。

私にとっては、やってみたいなという願望を持ってしまったことが『恥』だし

自分ごときがやってみたいなどと思ってはいけない

だから、つゆほどでも思ってしまったことを知られてはならない、

察知されたくはない。

却下されるだろうし、笑われる。そしたら恥ずかしさは倍増する。

やってほしいと言われたからやる、というのがテイが良くてベストだ

いう、自分の思考が

怒りながらだんだんとありありと見えてきた。

荒れに荒れてようやく、

 

『私は”わたしにその題字を毛筆で書かせてほしい”と思っていた』

『あぁ、わたし、やりたかったんだ。。。』

ようやく、ようやく、思えた。

 

私にこういう願望があったなんて、とショックだったのと

これを幼子のようにスピークアップしていいなんてというショック

はあったが

奥の方が解けていくのを感じた。

 

 

撮影では、すべての文字を一人で書くのではなく

二人で分担する、ということになっていて

書きたいと思っているわたしとしては

文字数が多い方をやりたかったのだけど

それは自分のパートではないようにはっきり感じたので

「愛」という一文字を書いた。

撮影中、書くことも、陽子ちゃんが書いているのを見ているのも

嬉しくて心が躍っていた。

何時間にも及んで、大理石の床に正座をして待つ時間が長かったわたしの足には

甲のところに痣ができていたけど

そんなこと気にならなかったくらい楽しくて

翌日までその痛みに気づかなかったくらいだった。

 

 

ガッカリするのが嫌だから、

やりたいというその気持ちを口にしないでおくっていう習慣があったけれど
やりたいと思う事をやりたいと言わせてあげて良い
ダメだと言われてガッカリしたり

カッコ悪いという考えからスピークアップせずにいて

求められることを待つなんてことやめよう


やりたくないことをやりたくないと言わせてあげる

やりたいと思うことは子供のように

やってみたい!と言わせてあげる。

そうしていきたい。

わがままに見えるのではないかと恐れずに。