ずっと以前に決断している

わたしがのりこさんに
怒りをぶつけ続けていた最後の頃(9月の中頃から後半)
 
「やめる決断をせず
そこにい続けるなら
もうわたしにはなにもしてあげられない」
と言われて
怒りも湧いたけど
その通りだと思って愕然とした。
 
だからといってすぐにやめられもせず
途方に暮れて
悔しいし悲しくて胸をかきむしらんばかりになった時
ふと、
自分が大好きな人に
認めてもらいたいひとに
愛してもらいたい人に
愛してもらえず、
否定され、
批判されている
ただわたしは愛してもらいたいのだ
大好きな人に、
大好きだと言われたいのだ
大好きな人にまで批判されたりダメ出しされたりする辛さ
わかる?
という理論の中に好き好んで入り込んでいて
そこから抜けないぞという決心の元に
ごちゃごちゃ
あーだこーだと
やっていたじゃないか!。。。
と見えてびっくりした。
のと同時に、
この決心を撤回しようと自然に決心していた。
(でもこれは、私をジーザスが支えてくれていたからだ
っていう風に感じています。決して私の手柄ではなくて
やっていただいた感じしかしない)
 
 
そう見えてから、のりこさん(兄弟への)への投影や
べったりの貼りつきから少し抜け出したかのような
体感を感じて、すごく心身ともに軽くなったようだった。
 
でも、このことをなかなか表に出さずにいて
11月にようやくのりこさんに伝えて
けんたさんにもシェアさせてもらったのだけど
私は、のりこさんに
とてもとても大好きだと言うことにすごく抵抗があったから
(気持ち悪いじゃん?って)
愛されたくて仕方なかったって打ち明けるのが恥ずかしかったから
(やっぱり気持ち悪いじゃん? 笑)
なかなか話すことも書くこともままならなかったけども
いやー、やっぱり、本当に
何かを知覚するそのはるか以前に、何かを信じてしまっていて
どのように見るのか、どのように認識するのかを
完全に決めているんだなぁと
本当につくづく感じて
自分の心の狂いっぷりの凄さの修正を
聖霊に助けてもらわないとだなぁと思っています。