大好きな先延ばし→分殺→感謝・追記あり

12月に北国の撮影の話が出たときに
ふっと部屋の隅っこに置いたままになっていた
紡ぎ車が目に入った
この紡ぎ車については少し前に一度触れているのですが
 
正月休みに、そうだやろう!と思いついて(聖霊が背中を押してくれたと思う)
写真を撮って文章を書いて
サイトにアップした。
どこのサイトかなと迷うとずるずる日延べしてしまうので
母の移住の時いろいろ処分するのに妹が作ったアカウントを使わせてもらった
アップする前に同じカテゴリの出品を検索してみると
全く同じ機種のものが売れていた。
この機種がこういうところに出品されることはないだろうし
売れないだろうと思っていたので
驚いたけれど
その人のおかげで、梱包を全てお任せできるという発送方法を知ることができて
一段と簡単に気持ちも楽に出品できた
 
売れなければそのまま手元に残そうという腹もまだ保ちつつ。。。
ところがアップして数分で値段交渉の問い合わせが来た。
しばらくは下げる予定はないことをお伝えして
それから間もなく
売れたよ
と妹が言った。
出品してから1時間経っていない(6桁の取引なのに)
笑えた
売れて嬉しいのではない
(正直売れないことを期待していたかもしれない)
こんなに完璧にお膳立てされていて(知らなかった)
私が決断しさえすれば
あっという間に鮮やかに全てを手配してもらえるということを
はっきり見せてくれたんだなと
聖霊の凄さを目の当たりにした感じで
参りましたとなんだか笑いがこみ上げてしまったのだ
 
やはり聖霊が私にいて欲しいところ
やって欲しいことって
神への献身の道なんだなと
すごく優しく伝えられたような感じがした。
一抹の寂しさはあるものの
スッキリしていて、伸び伸びするのをあれからずっと感じています
 
追記:7月の佐島で、
ようこちゃんは大好きな絵
ラファエルも大好きな撮影
を使って導いてもらっているのに
私は好きなものを剥奪された
不公平だ
と文句を言いまくった
でもそもそも、大好きなものを大好きだからこれを使って導いてくださいと頼んだのかと問われたら
頼んでなくて、何が好きなのかもその時はもはやわからなくなってて
ただムカムカしていたんだけど
それでも
私も、私が大好きだーというものを使って導いてください
とお願いをしたことを思い出した。
なぜか心惹かれたヨガなんだけど
それを与えてくれて、それを使って導いてくれているように感じている
悪態ついてすみませんでした
ありがとうございます