I follow in the way appointed me(lesson 317)

奇跡講座を学びその道を歩く日々について綴っています

311の津波youtubeを見続けている。

ジャーナリストの編集のものとかテレビの放送のものじゃなく

一般の人がその時に撮っていたものを見ている。

 

嘆き、叫び、落胆、絶望の声が入ったもの。

はじめのうちは、イライラして苦しかった。

 

何本も見続けていたら

何本目あたりだったのか忘れてしまったけど

撮ってる人や、

そのカメラの周りにいるが映ってはいない、

声だけが入ってしまっている人たちに

「大変だったよね。。。

よく頑張ったね。。。

こんなこと目の前で見て

人が流されたり、それも近所の人や

家族だったりして

そんなことが目の前て起きていて

苦しかったでしょう、辛かったでしょう」

という言葉が出てきた。

初めてのことだった。

自分だって大変だった、というところに終始して

固執していて

むしろ、あなたちち、泣き喚くなよ、

いつまでもいつまでも震災震災言ってんじゃないよ

幻想なんだから

という非難しか出てきたことなかったのだ。

甘やかしてはいけない、という考えがあって

それはすごく正しいもの、だった。

だから、甘やかすかのような、

大変だったよね、辛かったよね

という言葉が自分の中から出てきたとき

吹き出すようにブワッと泣いた。

瞬間

私は、自分にこんな風に声をかけてあげたことがなかった

と思った。

この声がけのような視点は

よくないもの、としていたと思う。

 

引き続き動画を見ているけれど

見始めた頃のようなイライラした感じが消えているように思う。

自分のことをゆるしてあげたい。

何もできなくても

ダメでも。

 

いまのこの状態が我慢ならない、

という思いも出るのだ。

受け入れました、落下しましたと言うことは

今すぐできるはずだ、と。

以前なら、悔しさから即座に

意欲を捧げますとかなんとかやったと思う。

いま、それが出来ない。

捨身を喜んで受け入れていたのに。

それは自然なこと、くらいに思っていたのに。

もう、戻るところもなく

見捨てられたようにも思う。

 

それでも、自分をゆるして慈しんであげたい。