プランAのサンプルのひとつ

奇跡講座を学びその道を歩く日々について綴っています

合宿中の思いの丈を完全に表現しきれないままではあるけど

これは必ず中途半端にすることなく

妥協することなく

やれると信頼することにした

 

どうしても濁して薄めて

知的にすませてしまう習慣がありすぎて

吐き出すトーンが弱まっているのを感じてはいるけども

終わらせたいと心底心底祈っている

 

 

 

 

合宿

合宿が終わってから、

「合宿ありがとうございました!
素晴らしかったです。」
と、言いたい気持ちはもちろんあるし
もちろん感謝はあるんだけど
合宿ありがとうございました
と書こうという気持ちになれないなぁ、というのが
今の正直なところ。

 

むしろ、行かなければよかったのではないか。。。
なんだったんだ。。。
という感想の方が強くあるかな。
行くこと自体は強いコーリングがあったから
行かなければよかったのではないかっていうのは本当ではないのだけども。

率直に話すことをやり切る必要があると
はっきり感じていて
また、そうしないとどうにも頭打ちというか気持ちが悪いと思っていた
今まで全く見えてなかったプライベートソートが見えてきて
本当に耐えられなくなってきた
風通しが悪過ぎるんだ。。
今までは感じれてもなかったし、見えてもいなかった

けれども一方で本当に率直に言葉にしていくことは
まるで平安の祈りの輪の真ん中に核爆弾を投下するようで
とんでもなく恐ろしく思えて結局動けない


体に出て完全にダウンしてしまった自分のことが
全く不甲斐なく情けなく思う。
なんのために行ったんだよ自分、、、と
不甲斐なくて
腹立たしくて
悲しいし悔しいし
自分が無価値に思う。

終始、自分対兄弟という対立だけを感じていて
そのことについて、どういうこと?と聞くこと
つまり、率直に言葉にすることができない。
そんな自分はもうたくさんで
抱えたまま仮面状態で生きるこのわたしが作った世界にべったりなんだけど
もう、ここから出たいんだ!とすごく思うものの
孫悟空みたいに頭がギリギリと締められていって留まってしまう。

絶対に妥協したくないと思いながらも
自分が兄弟の輪から離れている、
敵対していて歓迎されていないと知覚している
ということを言葉にすることが
屈辱的に思えて
恥だしシャクだし
情けないからやめよう、と思ったことも事実。

全く自分がエゴまみれでしかなくて
素晴らしいね、と言われるようなシェアも出なくて
酷いなぁと思ったけど
本当に思ってもいないことをするのは嫌なんだもんなぁ
だから、まぁ、しょうがないのかもしれない

個人的には「好ましい」とか「良かった」というような
合宿ではなかったのだけど
エスの采配があるとしたら
私の好み通り、みたいな展開が
いい合宿や成果のようなものではないこともあるのかもしれない
と感じている。