自分でやれたことなんてあったのか?
実のところ、ずっと親に養われていて
妹に養ってもらっていて
自分でまかなって自分で全部やれたことなんてなかったんだろうなぁ。
ずっとだな
ずっとわたしは何にもやれてなどいなかった
格好良く、こんな風に生きたい、
格好良くやってる人、っていう想像、妄想があって、
それでやれてる気になっていたけど
そうあろうと思っていただけで
やれてなどいないことを認めたくなどなかっただけだ。
そうして自分でなんとか奮闘して
それはまるでこの世界では当たり前のような振る舞いの数々ではあるけれど
どれほど時間を延ばしただろうと思う。
世界を信じ、勝つことだけが生き方だったんだなぁ。
本当にわからなくなっていたんだな。
わかりたくもなかったしなぁ。
だいたい、こんなブログを書くなんて
あり得なかっただろうなぁ 笑笑
6月あたりから加速を増した
屈辱まみれのようにみえる毎日は
しあわせというものが本当にわかるようになっていく毎日で
それは全く逆説的で
到底想像はできなかったけれど
どうにもならなくなって諦めるしか道がなくなるって
本当に恩寵だ。