2016.5.17
<p>妹と父との関係というのは、わたしのそれとは違っていて、少なくとも虐待のようなことは無かったので、彼女から見る父、というのは、わたしのそれとは違うことは仕方がない、みたいに思っていた。<br>
その見方は、母や叔母も同じだったようだった。<br>
わたしはそこにいなかったのだけど、<br>
母が叔母に、父が朝食時に卵を器に割って入れ、レンジをかけて食べるのだが、それが器に卵がこびりついて困る、という話をしたら、叔母が、<br>
ヘェ〜親子だねぇ<br>
と言ったそうだ。<br>
その叔母のセリフだけを聞きつけた妹が、<br>
なになに?何が親子だって?<br>
と話に入ってきたので、<br>
父の卵の話をすると、<br>
キッとして、わたしは朝にお弁当を作りながら朝食をとるのに、便宜上そうしているだけだと言い捨てたのだという話を、数日後に母から聞いた。<br>
妹はもともと母に似ていると言われていて、わたしは父に似てると言われていた。<br>
だから、親子だねぇというセリフに、妹は、自分と母のことだろうと思ったのかもしれない。<br>母は、このとき、妹の様子にとても驚いたということをわたしに伝えたかったようだ。<br>彼女にも、父との何か、があるのね、というようなことを言っていた。<br>
聞きながら、個別性、特別性を見ながら、共通を見出していこうという、分離を強化しようしようと自分がしている感じをすごく感じた。<br>
丁寧に、分離は起きていないのだから、世界はなく、罪もないのだ、という贖罪の原理を繰り返した。</p>