2018.6.10

繰り返し、自分の人生を情けなく、失敗したもののように見るべきだという

思考が浮上してくる。ずいぶん弱くはなったけども。

《「私はこの人生で、自分でできることを最大限に全てにおいて成功しよう!」と

一生懸命にやってきました。》

というカースティンの話は、全く私もそうだった、ということを認める機会として

とてもありがたい話でした。

私は本当にそう思っていて、そうやってきた。

 

新宿のIという百貨店にプレゼンをして口座を作り、

期間限定ショップのイベントをバイヤーたちと作り上げることは、

成功の象徴の一つのように考えていた。

自我はもちろん、もっともっと、となっていくのだけど

コースを学び始めていたので、このことにしがみつこうとすることに気がつく

というレッスン場だという見方をしていた。

でも、一方で、急降下している部分があることに気がつき始めてもいて、

何が起きているのかわからず

急降下している自分の気持ちのようなものを必死に隠していました。

外に対しても、自分に対しても。

目覚めを目的としたスピリチュアルな旅において、

その目的に仕えない関係は意識から離されていく、ということが起きているのだ

ということが今は深く落ちていっている。

 

「スピリットは、私たちの注目を

この世界に執着しているアイデンティティや、この世界の物事、

この世界を理解して関わる方法から

赦しの実践と、手放すこと、スピリットとして、スピリットと共にあることへと

戻るという目的に、赦しを通して方向を変えます。

もちろん、この時に、もはや必要がないものは

自然に私たちの注目から離れていきます。

ここが信仰が入ってくる場所であり、このことを信頼することは

赦しの目的でもあるのです。

すべて、あなたをスピリットと同一化することを強める方向に

向かっているのです。」

(カースティンのウェビナーより)

 

何か間違いでしょ?っていうようなことが起きているように見えていても

こんなところから?というような思考が起きるようなところに

世話になっているように見えていても

それがイエスによる私が癒されるプランの一部として

聖霊が背後で動いてくれていて、

それを私が受け取るということになるのならば

信頼して受け取っていこうと、今は本当に本当に思う。

 

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