最終日
最終日の午後にカースティンが
このリトリートから持ち帰って忘れずにいたい事について
短く分かち合いましょう
ということを提案して
二人目くらいに手をあげました。
頭にはシンプルなシェアが一言だけで浮かんでいたのに
ここに至る経緯、のようなものを語りたいという欲求を優先してしまい
遡ったところから話し始めてしまいました。
途中、カースティンの表情が曇るのをはっきり見たのに
話を続行していることを自分で見ていて
間も無く、カースティンに
shoko、そうではない、と話を止められる、ということが起きました。
やってしまった、、、
恥ずかしい
情けない
みっともない
穴があったら入りたい
ここまでのリトリートの全てを台無しにしてしまった
もうカースティンは私をダメだと思っただろう
嫌われてしまったに違いない
なんていうことをしてしまったんだろう
ok、と仕切り直して話したものの
その場にいることがとてもきつくて
とんでもなく落ち込んでいて
でも、落ち込んでいるということをシェアするという
開いた状態にもなれず
ひたすらに心の中で赦しをしようと試みました。
これは赦しの機会なのだ、と起きたことを解釈し始めて違うな、と立ち止まり
兄弟たちに対しての見本のモルモットとして必要だったのではないか、と肯定しようとし始めている事に気付いて立ち止まり、
自分を責めていることに深く気づくためだ、
神への恐れをカースティンにあてがっているのだ、
などと、「自分が」赦しをしよう、というところから思考が出てきている事に気付いて
その違和感に、都度立ち止まらずにはいられず、
それを棄て去るということを何度も何度も繰り返しました。
一体どうしたらいいのだろう。
これまではやってこれていたはずなのに。
赦しきれないのは何にそんなに必死なのだろう、と見てみて
相変わらず、「自分像」「セルフコンセプト」「セルフイメージ」
というものがとても大事に思えてしまっているからではないかと思いました。
こうでありたい自分、こうであるであろう自分、
みたいなものを保持しながら赦しもする
つまり、赦しすら分離維持に使っていたということ
もう、とにかく、自分を維持したいだけ。苦笑
そもそも、その「自分」が消える事に取り組んでいるはずなのだけど
全く消えていなかった、という事にわかっちゃいたけどさらに深く直面しました。
もう、一体どうしたらいいんだ、
赦す赦す、引き下がる引き下がるというものの
全くもって、口先だけで
真にそれで生きるということになっていないのです。
絶望、挫折、みたいな感じでいたように思います。
中央の布団席にいることがきつかったので
一旦トイレに出ることにしました。
すぐに席に戻らず、携帯のメールを何気なくチェックしました。
その日、日帰り旅に出かけると言っていた家族から
何枚かの写真付きのメールが来ていました。
順に眺めていって、最後の一枚が
この写真でした。
全身の力が抜けました。
カースティンの前で失敗したことを
自分の解釈で赦したとか、気付いたとか言うことが
ただ、
全てをお任せすること
が必要だったんだ。
失敗したかに見えることも、
お任せすること。
お腹の底から安心のようなものが広がっていくのを感じながら
通路の席に戻って
また再びカースティンの目を見ることができて
ようやく、
初めから赦されていたことがわかったのでした。
リトリートを通してずっと
allowingを伝えてくれていると感じていて
最後の、このレッスン教材は、美しく装う表現としてでなく
自分が崩れ落ちる素晴らしい機会となったと思います。
そして、ここからがようやく始まり、なのだとも思います。