目の上のたんこぶ
本当は敵はいない。
見えない敵を具現化するひとつの手法として
目の上のたんこぶ
がわたしの場合、ある。
職場ではもはや見出せないのだけど(そこでの勝ち負けに価値を見出せないので)
マイティコンパニオンの中にたんこぶを見出すことは多くて
入れ替わり立ち替わりだ。
この間まで愛を感じていたマイティコンパニオンのユタでの至福の表情をみて
自分も癒されながらも
はたと、こいつらが目の上のたんこぶになる、と思い始めるのを見つける。
勝つことに多大な価値と魅力を持っていて
それはとんでもなく強い強い決意だ。
甲子園球児の炎天下の中白球にくらいついてでもみたいな命がけの決意。
その決死の覚悟は
神を思い出すまい、という覚悟だなと思う。
そしてそれはいまもあって
目の上のたんこぶを勝手にひとりで作り出し
勝手にひとりでキーキーしてるのだ。
決死の覚悟のもと。
このおかしな決意は、もうやめ時なのだよなと思う。