2015.2.5

<p>T26.Ⅴ.3.<br><br>

T26.Ⅴ.4<br>

自分が時間の中で生きていると今もなお信じ、それが消え去っていることを知らないあなたにとっては、聖霊は今もあなたを導く存在であり、すでに過ぎ去って久しいけれどもあなたが依然として時間の中に知覚している限りなく小さく無意味な迷路の中を、先導する。あなたは過ぎ去ったものの中で自分が生きていると思っている。<br>

あなたが眺めているものは、遠い昔、その非実在性が真理に道を譲る前に、つかの間、あなたに見えただけのものである。あなたの心の中には、答えを得られないままに存続している幻想は一つもない。不確かさは遠い昔に確かさのもとへ運ばれたのだから、あたかもそれが今も自分の前にあるかのように、胸にとどめておくことこそ、まさしく難しいことである。<br><br><br>

T26.Ⅴ.9<br>

はるか遠い昔に訂正され、取り消されている恐怖の時のことは、忘れてしまいなさい。

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T26.Ⅴ.11<br>

神が創造した神の子は、神に創造されたままに自由である。

生きる代わりに死ぬことを選択した彼は、その瞬間に再生している。そして彼が過去に犯した誤りは、神が覚えておらず存在してもいないのだから、あなたは今、彼を赦してもいいのではないだろうか。今あなたは過去と現在との間を行きつ戻りつしている。ときどき、過去は、あたかも現在であるかのごとく、実在するかに思える。過去からの声が聞かれ、それから疑われる。あなたは依然として幻覚を見てはいるが自分で知覚している者に確信がもてない者とよく似ている。これは二つの世界の間の境界地帯であり、過去と現在の間に架かる橋である。ここには過去の影が残ってはいるが、現在の光もおぼろげながら認識されている。ひとたびこの光を見たなら決して忘れる事はできない。それはあなたを、過去からあなたが真に存在している現在へと、必ず引き寄せることになる。<br><br><br>

T26.Ⅴ.14<br>

過去を赦し、それを手放しなさい。それは確かに過ぎ去っているからである。あなたはもはや二つの世界の間に横たわる地に立ってはいない。さらに進み続け、天国の門の前に広がる世界に達したのである。神の意思を妨げるものはなく、遠い昔に終わっている旅をあなたが再び繰り返す必要もない。兄弟を優しく見つめ、それからこの世界を眺めなさい。そこでは、あなたの憎悪の知覚が愛の世界の知覚へとすでに変容させられている。<br><br><br><br>

ここで言う「過去」というのは、何年か前、のような過去とか、過去世とかではなく、小さな狂った考えを抱き、信じた、あっという間に取り消されたところのことを指していると、今日ハッとした。わかってるようでわかってなかったところ。</p>