愛車を処分した。

17年かな、本当に相棒、家族みたいに暮らしていたし

母の送迎も必要なことだったので

処分するという決断は正直とても苦しかった。

 

最後に少しドライブをしよう、と母を誘って出かけた。

浸りたかったわけではない。

でも、母が泣く。

彼女は毅然としていたい人で、泣いて寂しがるようなことは

これまではしたがらなかったし、好まない人だった。

その母が、

いつも迎えにきてもらったり、桜を見に行ったり

本当にお世話になったわねぇと

泣く。

親不孝をしている

という言葉が浮かんでくる。

 

マンションの駐車場にこれからはこの車がなくなるのねぇと泣く。

罪悪感でいたたまれない。

張り裂けそうだ。

私も涙が溢れる。

 

寂しいと私も思う、ということをありのまま話した。

この車を手放すこともしたくはないし

送迎だって、やめたくない。してあげたい。

 

徐々に体力の衰えを感じる中、どれほど私を頼りにしていただろう。

それなのに、その私が

コーリングだからと急に家を出るなどということになってしまったわけだ。

 

寂しさや不安で、もうどうにかなりそうで

聖霊を頼らなかったらいられない

と母が言った。

自分でも、自分の痕跡のようなものを片端から始末しているように見えて嫌だもの

母にとっても同じだろう。。

 

世界は幻想だと書いてある。

だからって、母は幻想、という見方は曲解だと思う。

本当に自分が信じてきた

間違ったものの考え方、見方、

わたしに痛みや苦しみを与える原因となるそれを

真に放棄するのだ。

本当に放棄していくのだ。

そしてそれは、聖霊に頼らなければやっていけない。