思考は全く信じる必要がない

区役所に転出届を出しに行きました。

係の人がわざわざ

「1年以内に戻るなんてことはないですよね」

と聞くので動揺する自分を見る。

...1年以内に戻るなら住民票の移動はしないということ?

...1年以内に戻ることになったとして、戻れないということ?

...転出届、早まったか?

 手続きを提出して待っている間、ググる

戻れないということではないし、生活の拠点という観点でみるので

別に早まった行為でもない。

すると次は

いや、でも、拠点はまだわからないとも言えるし

わざわざこんな「手続き」をしなくても良かったのではないかな、とか

役所で手続きをするなんて、なんか本当にくっきりはっきり

「ここ」から「あそこ」と冷徹に断つようなことしているようだ、と感じる。

そしてこの「手続き」は母を切り捨てているかのように思えるくらい

罪悪感がふつふつと上がってきて

嗚咽を抑えることができなくなってしまった。

同一化し切ることはなくなっているけれど、

この鍋の吹きこぼれみたいなものは起きるので

溢れるだけ溢れさせる。

泣きながら運転をして、地元の地方銀行へ行く。

これまでに保有していた口座を解約するため。(残念ながら預金はないけど 笑)

東京ではこの銀行は一箇所にしか支店がないので

全て解約することにしました。

数分で到着したけれど、さすがに泣き止んで番号を引いて待っていましたが

また再び、こんなことしなくてもいいのかも、、、とか

何か親不孝のようなことをしているかのような罪悪感がこみ上げてきて

一旦外に出て、また店内に戻りました。

 

12月に泣いていた感じから随分剥がれていて

本当にこれは、単に思考なのだけど、

あたかも真実であるかのようにやってくる。

信じるものではない、ということはわかる。

けれども信じてしまっている信念ゆえに持ってしまっていた様々な思考が

決壊して溢れてくるみたいなことがただただ起きる。

これの繰り返し。

飛び降り続ける。

 

何度も思い出されるのは

マトリックスの1シーン。

「道を知っていることと実際に歩くことは違う」

 

12月以降、本当に本当にそうだと感じている。

知っているのと、実際に歩くことは、本当に全く違う。

そして、私は、実際に歩くのだなと思う。