2018.6.9

ちょうど一年前、私はメラノーマ(皮膚ガンの一種)の疑いで

大学病院に紹介状を持って受診しに行った。

あれから一年なのか、と思う。

 

足の裏のホクロが急に大きくなっていたのを見つけて

少々狼狽はしたものの、

それは、切除のための施術が結構な痛みだということが焦点だっただけだった。

だから、嫌だったけど、切らなければならないらしいし

さっさと行って切ってもらおう、くらいな気持ちで病院へ行った。

その個人病院の医師は、私のホクロを診て

顔色を変えた。

なぜだか患者の私に向かって、どうして放置するようないい加減な診察をするんだ

など怒った口調で言った。

医師がこんなに動揺するということは、、、?と思った。

「先生、これ、ただのホクロじゃないんですか?」

「違う!こんなことになって!」

え。

メラノーマなの?。。。

「紹介状書くから、すぐに大学病院に行きなさい!!!!」

なぜか非常に怒り出した医師は、

患者を不安にさせないように説明する、ということなど一切せずに

パソコンに向かい出し、私は診察室を出された。

紹介状を持たされて、帰り道、メラノーマということは、

死もありうるということだなと思ったら

急に恐ろしくなった。

スピリチュアルな道を歩くようになってから

私たちは体ではない、ということは見聞きしていて

受け入れてきていたつもりだった。

だから、万が一、癌の宣告を受けても、余命宣告を受けても

「私は大丈夫ですよ」と、医者に笑って言えるくらい

学習の道は歩いてきているだろうと思っていた。

宣告されたわけではなかったけれど、

あの帰り道、私は、全く大丈夫ではなかった。

メラノーマだとしたら、死の可能性はとても高い。

けれど、その段階では可能性の一つでしかなかったのだが

私は間も無く死ぬのか。。。と

とてもとても怖かった。(自我の妄想は最も極端なところへいったわけだ)

怖くて怖くて、運転しながら号泣した。

怖いというのを感じ尽くしたくらい泣いてから

浮かんできたのは、

コースを学び終えていないということだった。

僅かなりとも学んできていたものの、私はもう少し学びたい。

今世、学び終えることができるのかわからないけど

少なくとも、今はもう少し学ばせて欲しいと思う。

泣きながら、この浮かんできた思いを聖霊に訴えた。

 

家に帰り着いてから、これ以降、このとき浮上しまくった

怖いという考えは、浮かぶことはなかった。

 

それから数日、妹が私の地元の大学病院は症例が少ないから

築地の国立がんセンターに行くために紹介状を書き直してもらう

とか、

がんセンターに予約をする

とかということを色々私にさせようとして、それにただただ動かされる

ということをした。結局それらは無駄な動きで、紹介状を書き直してもらうというのは撤回することになったし、がんセンターもキャンセルした。

その時、冒頭の個人病院の先生が

「メラノーマだとか、ひどいとか、そんなことは言っていない」

などと言い出して

全く、何なんだ??と、とうとう可笑しくなった。

 

そんなことを経て大学病院に受診に行ったのだけど

そもそも、その朝、寝坊した。

東京からわざわざ来てくれる妹を駅に迎えに行って

大学病院に行くはずだったのだけど

起きた時には妹は駅に着いていた(汗)

寝坊した、とメールを返すと、「よかったよかった」

と返ってきて驚いた。

怒られると思っていた。

急いで支度をして出かける。

間に合わないのではないか、受け付けてもらえないのではないか

という思考に取り込まれそうになった時

あぁ、こんな風になるんだよなーと立ち止まった。

聖霊、こんな風に考え始めちゃいます、と。

無事間に合って、ぼーっと新患の受付を待っていた時

「今から全てを私が取り仕切る」というような声がしたと思ったら

そこから何とも不思議な、二人羽織のような感覚になった。

その不思議な感覚の中で院内を歩き、担当の先生の診察を受け

説明を聞き、手術のための検査を受けに行った。

話されていることは、いくらでも不安になれるような話だったかもしれない。

メラノーマだとしたら、年間このくらい亡くなっているとか

切除をしても、生検後メラノーマだとわかったら再手術が必要になり、

その間に悪化して亡くなる例は年間に20や30ではない、とか。

けれども、全く不安も怖さも湧いてこない。

全く。

むしろ、とても楽しく、幸せだった。

少し気を使いながら、でも大袈裟にリスクの話をするお医者さんたちが愛おしく思えた。

楽しくて楽しくて、幸せで幸せで仕方がなかった。

血液検査で採血されている時も、幸せで泣きそうで

レントゲン室に向かっている通路を歩きながらも、幸せで涙が溢れてくる。

通路で、ストレッチャーに乗った痩せ細った患者さんが

私の目の前で胃液を嘔吐しても(今思うと、わざとらしい)

何も問題がなく、その人も幸せなのだという見方しかなかった。

もう、こみ上げてこみ上げて、どうしようもなかった。

問題を見ることができない、って、本当のことなのだ、

というデモンストレーションだったのだろう、と今は思う。

 

これは、その後、入院期間中およそ2週間の間もずっと続いて

入院、手術はとても幸せで楽しいものだった。

そして、その時は本当に何が何だかわからなかったけども

このことは間違いなく聖霊が私を乗っ取り始めたスタートだった。

 

今月、その時の生検でクラーク母斑と診断されてからの

経過観察のための外来が最後になる。

お世話になった病棟の看護師さんや先生たちに会いに行ってこようと思う。

 

 

f:id:newool4405:20180214224813j:plain