責任転嫁だけをしていたんだな

別に行きたくないヘッドマッサージに行くことになった
むかつくんだよなー
でも、私、嫌だと言えばいいだけなのになぜ言わない?
多分、行くことになったとか、行かないと言うとか言わないとか
そういうことにムカついているわけではないと感じる。
 
一駅歩いて行くのだけど、PASMO持って行くかどーかっていう話をしてみたら、
まあ、ほんとは聞く必要もないことで、なのに聞いてしまって、
当然、好きにすれば?っていう返事が返ってきて、殺意を抱く。
殺意を抱くほどのことじゃないことだっていうのは
十分わかってる。
でも、殺意がわく。
マジ死ね
憎悪、怒りが噴出して
相手に飛びかかってしまいそうなくらいの勢い。
 
それを自分の中で出させ続ける
出るだけ出させ続ける
相手にぶつけたい、というのもでる
そうするべきだ、という主張がきーーーっとしている
 
と、その時
正しさと幸せとどちらを望むのか、というフレーズがどこからともなく浮かんだ
相手にぶつけて正しさを主張することがしたいのか。
相手を完膚なきまでにぶっ潰したい。
けどそれが私の本当の望みで幸せなのか
そうしてみたいとも思うけど
でも、この考え方と一体化し続けていたくはない
と思った。
私が望んでるのは
本当に望んでるのは
終わることのない本当の幸せ、だ
 
少し経って、
どうして私は怒りを覚えたんだろうなと思った。
彼女(妹)が好きなことを好きなようにやっているように見ていて
自分は何か、振り回されているような知覚をしているようだなと思った
被害者でいたい私が、相手を利用しているんだな。
それから、最高のチョイスを自分が自分に与えないでおきながら、
相手に責任転嫁してるってことでもあるんじゃないかな、と思った
責任転嫁だけをして生きていたんだな。
 
責任転嫁をして生きるのか
エクスパンションを選んで生きるのか
責任転嫁は楽だったよな
でも、今、だんだんそれはあまり好きに思えなくなってきていて
だからこんな風に見えるようになってきたかもしれない
 
自分に最高のチョイスを与えてあげよう
褒めてあげよう
大事に扱おう
 
自分に鞭をうって生きるのはもう嫌なんだ
勉強会で、ジャンヌダルクの喩えを出したけど
頑張ろう!っていうやり方っていうのは
自分にムチ打っていたと感じてるんだ
自分にムチ打ってやって来たなって感じていて
もうそれは嫌なんだ
自分にムチ打つんじゃなくて
エクスパンションを感じていきたいんだ
 
これを全部聖霊に話して
その間、ずっと一人で歩いていて
私は私の見方をし続けたくはないからさ、
私を退けてあなたの見方をしたいんだよね
と話したら、スーッと妹が横にやってきた
 
あーよかった、ありがとう、ありがとう。
よくやってるよ、と自分に言ってあげた。
よくやってるよ、私。
よく頑張ったよ。
聖霊が一緒にいてくれるおかげです。
ありがとう!!