無声の気合
家族とのちょっとした諍いの
"対立"をみて、何度も何度も毎回展開される
わたしの敵、味方、とか
苦しみ、憎しみに
ほとほと嫌気がさした。
仕事に行く電車の中で
何気なく聞いた4分裂の講義と
のりこさんに言われた「無声の気合」が
どういうわけかすごく結びついて、
本当に本気の決断が必要なんだなと、
どうやらわたしの奥の方で、本当に望んでいるというのは本当なんだなとようやく思えた。
思えたというより、我に返ったということかもしれない。
学習会に参加申込みはしてるけど
11月あたりからの失格感、落第者の屈辱感から抜けられず
どうやってその輪に戻ればいいのかわからないと思っていて
なんだかグルグルと放蕩していることに
そのままでいたいような、いたくないような
思いもあって
のりこさんからカツは入るものの。。。
ウロウロしていたのだけど
はっきりと決断する必要があるよ
という、
わたしからではない思考、動機があることにようやく目を向けることができた感覚がした。
本当のわたし、が望んでるということとは
こういうことなのかもしれないなと思った。
わたしはもう対立や、敵対で世界を保つことから何かを得ようとか、保持しようとか、そんなことはもう望まないし好まない、要らない、
そう格好良く断言したい。
でも、まったくほど遠い。
敵対するもの、誰か、を作って、
自分の代わりに自分を攻撃したり責めさせたり襲わせること、
それによって自分の自己憎悪なのに外からのものということにして罪悪感をトリックがわかっていながらやり続けるってことをもうやめたい。
でも、敵対は好物だし勝ちたいし
自分は無価値だと信じて疑っていなくて
この世界でも、学習グループの中でも、家族の中でもどこでもいいから自分の価値を感じられるポジションが欲しくていつも狙っている。
あぁ、情け無い。。。
まったくまったくわからないのだ。
けど、負け続けよう。
いや、だからこそ負けよう。
もう、勝つことから退こう。
疲れてきた。
けど、悔しいってのが猛烈。
屈辱感が猛烈。
でも、
無声の気合、信頼すべきものを信頼し続ける決断。この忍耐をはっきりといま、選択したい。
書いたけど、完全ではない。
相変わらず一瞬で見失う。
でも、一瞬でも見えたこのことを
はっきりここに書くことさえ避けたい力動がいつもあるから
自分のために
忘れないように
書いておく。
わたしは救われたいの。
ただただ、救われたいの。