葉山合宿・日米オンラインリトリートを 終えて

状況は全く関係がない。

状況がこうだから、社会がこうだから、

経済がこうだから、仕事がこうだから

動かない、動かない。決断できない。やれない。

決断できないんじゃない、動かないという決断をしているのだ。

真に望み、祈るから

聖霊からの答えや助言のようなものがやってくる。

そうすると、なんでだかわからないけど、できて行くし、状況がついてくる。

 

信頼して

本気で祈って求めるんだ。

 

状況を信頼している。

そのことになかなか気づけなかった。

 

そして、真に求めるのは、

天国

神の愛

だ。

 

その時にのみ、聖霊からの確かな助言がやってくる。

 

 

 

11日〜13日、リトリートに参加するかどうか直前まで迷って

けれども行くことにして

ところが10日の夜から嘔吐と頭痛がひどくなり

11日、9時半には家を出ないと葉山に13時半ごろ到着できないのに

一向に回復せず嘔吐し続けていて

取りやめて寝ていようかとも思ったけども

数日前に耳に入っていたのりこさんの話が思い出されて

なんだか動けるようになり、

嘔吐しながら荷物をパッキングして

なんとか電車に乗り、葉山まで向かうことができた。

そこまでして?というのも浮かんできたけども

行くことに揺らがない部分が強く強くあって

そこが、わたしの意思と別に、進めて行ったのだろうと感じている。

 

12日のお昼まで、時々嘔吐しながら、横になりながらのわたしを

受け容れて、いさせてくれた

のりこさんと結集した兄弟たちには

本当に感謝しかない。

12日の午後には回復の兆しが見え始めた。

さおちゃんのスープの沁みたこと。。。

のりこさんのおかゆとお塩もすごかったな。

 

わざわざなんのためにこんな思いまでして葉山まできたのか

敢えていうとしたら

13日の午前中のセッションはその一つだと思う。

もちろん、このリトリートに至る全て、なのだけど。

デイビッドとカースティンとのセッションの時の体験は

つまり、「祥子の死」に匹敵したと思うくらいだった。

言葉を超えていたし、感動なんていう陳腐な言葉では表現したくない。

体の中に電流が通って、特に手のひらがビリビリして

わたしの体の中に、わたしは居なかった。

そう思う。

二度、

わたしは神に従いたい

と彼らの前で言い、デイビッドとカースティンが

エスの眼差しで大きく頷いたのを見て

このためにわたしはここに来たんだなと思った。

言ってしまった、という思考が通り過ぎるのももちろん見たけど。

このことを思い出すと、今も手のひらがビリビリとする。

ビデオを見ると今も涙が溢れる。

 

やることになっていること

やるように促されていること

使われることになっていること

素直にすぐに従うことだなと思う。

従いたくなくて、無視したりわからないふりをしたりしていると

体調が原因不明に悪化して

嘔吐が始まる、気がする。

 

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