2016.2.23
<p>今日の勉強会を視聴しようと、ページを開いたら、そこに書いてあることが、
読むべきこと、
とても重要なこと、
って物凄くわかるのに
やだよーというのが出て
やなんだなぁと認めて、信念を捧げて
読んだのだけど、
瞬間瞬間だから、やっぱり嫌々読んでいて
さらに、勉強会ではのりこさんがまた、とても重要な話を講義してくれるんだけど、
これまた嫌で、でも、聞いていたら、
頭痛がしてきて、
おぉー、どんだけやなんだーと、
信念を捧げながら聞いた。
捧げても捧げても、だなぁ、というくらいだったので、さらに下がろうと、完全に身を引く練習にした。
頭が痛いという反応がある、さて、となってるとき、微妙に、わたしは下がりきっていないのだと思う。
ただたださがって何もしない、に徹すると、頭が痛いことに、何も思わない。葛藤がなくなる、というのかな。。。のような気がした。
あとね、この間、山田邦子さんが一人演芸みたいなので、
「黙ってられない人」ってのをやってて、笑えたけど、わたしじゃん、と思ったのだけど、
そのネタは、
演歌のワンフレーズごとに、
そりゃダメだよ〜
とか、
いや変わらないって、
とか、ツッコミとか合いの手みたいに反応する人、ってネタだった。
そのツッコミみたいなのって、まさに投影じゃんって思ったんだよね。
無意識に、人の話聞いてても、テレビ見てても、
それこそ勉強会のときでも、
出てくる思考をそのまま聖霊に捧げるのではなく、
それってやっぱり分離の信念だよね、とか
コースを引きずり下ろしてツッコミに使うみたいなことをしてるよね、わたし、と思った。
ウッカリやっちゃう、というのもあるけど、そっちにいこうという衝動のようなものがとてもあると思う。
気づく都度、捧げていこうと思う。気づくことが大事だ!</p>