ありがたや

光を放つ真理の前に

スルッと滑り込んで薄汚れたボロ紙に

"分離は起きた"

"お前には罪がある"

て書いてあるカンペを持った

自我が入り込んできて、

どういうわけか

わたしたちはそのカンペの方をすごく見て

すごく信じてしまうんだけど

それをやめること。

信じるものは

聖霊の解釈、見方、おっしゃることなんだよねー

 

これを本当にそう思うことができるようになっていることは

とてもありがたいし、嬉しいことだ。