御崎口翌日朝。

ふと仲間たちは何の損失もないから

どんなに私がダメダメだとしても

別に気にならないだけなのではないのか?

私がどんなであろうと愛してるよとは

口で言うだけなのではないのか

という疑いが頭をもたげた

損失を被るのであれば愛さないだろう

私の面倒を見なくてはならないとしたら?

失敗の尻拭いをしなくてはならなかったら?

チッと舌打ちをし、近寄っても来なくなるのではないか?

ましてや愛してるよなんて言わないのではないの?

 

でも、仲間が差し出してくれたことを

なぜか思い出した。

損失レベルと言おうと思ったら言えるものを私に差し出し続けてくれている。

そしていつも、

「いいよ」と言ってくれている。

思い出させるんだな。。。

 

あぁ、これは、もしかして妹だって同じなのではないだろうか

母もそうだ

実は彼女たちは私がダメダメなことなんて

とっくに折り込み済みで

その上で私を受け入れ、包み、愛し、面倒を見てくれているのではないだろうか

 

あぁ、だとすると

そうすると

私には勝ち目なんてないのだ。

 

そうしてじっくり見ていくと、本当は全ての仲間が同じであることは

ものすごく明白だ。

形の上で現れていてもいなくても、同じなのだと

言葉で言い表せないけど

綺麗事でもなく

明白だ。

 

やっぱり、私がものすごく自分を責めるんだ。

それだけ。

誰も責めてなんかいない。

それがわからない。

わからなくなっちゃってる。

わかりたいと祈るのみ。