2018.7.28

心がまた少し解放された。

 

ただ単に、プライドが邪魔だとわかっていながら

そのプライドによるワタシ像を守ることをやめることができずにいた。

そのワタシ像が重要なことのように思え

そのワタシ像が砦のように思え

そのワタシ像ならばなんとか母を喜ばせることができている

それが無かったら、なくなったら

自分は生きてはいけないくらいに思っていた。

そのくらい掴んで離さない、離せないものだった

ということがくっきりはっきりと見れた。

 

見えたところで、やっぱりしつこく掴んでいた。

 

勉強会の時に聞いていた、Mr. nobodyという映画が

メッセンジャーグループで話題になっていた。

観るよう促されている感じがしたので、

今観たら徹夜じゃん、と思ったけど観た。

 

すごくわかりやすかった。

どのみち、同じ。笑えた。

そして、いない。

決断と思っている、この世でのそれは

世界を変えようと、幻想を変えようという動機のものでしかない。

そこから引き下がる。

 

この決断か、それともこっちか。

どれも同じだと

そう深く思えたのに

朝になって、やっぱり。。。とまた掴みに行く自分が見えた。

ここに至ってもまだ、這ってでも掴みに行く勢い。苦笑

 

母に告解する。

私は差を見ていて、お肉屋さんはダサいと

もはや仕事どうのではなくなっちゃったところで

私像のプライドがって、

ワタシ像的に許し難いとなってしまうんだと。

わかるよ、と母は言った。

でも、私はプライドより神を望みたいんだ、と。

母は静かに聞いてくれていた。

 

ところがそこから私の何かが解けて、電話をしようという気になっていったようで

あっという間に電話をして、決めました、と話していた。

面接の時には無かった、定期を購入してくれる、という話をいただいた。

バス停1区間だけの通勤。

徒歩でも通える。

そう話していたのに。

交通費はいくらでもない、でも、出す義務もない。

これは、交通費の話ではなくて

プライドの塊で、受け取るということができなかった私が

またひとつ消えた証明みたいな、

その象徴のように思えた。

 

決めるべきは、仕事をどちらにするか、ではなく

プライドを、個人の思考を捨てるかどうか

その決断だけだったのかもしれない。

 

電話が終わって、なぜだか涙が出た。

ホッとした感じだったけれど

自我が悔しがっているみたいな、そんな感じもなくは無かった。

泣きたいだけ泣かせた。

何か、重荷のようなものが減った感じ。

 

あとは、コースや翻訳に専念できる。

そう思って、今日のレッスンを読んだ。

 

レッスン102

ドンピシャ過ぎて、号泣だった。

聖霊、ありがとうございます。

本当に私は、勝つことが幸せだと

勝ち取ることができると信じていたんだと

この負けのようなことで

また少し、神の側にガクーッと落ちた感じがした。

 

奇跡講座ワークブック 

レッスン102−1

あなたは苦しむことを望んではいない。あなたは苦しむことで何かが手に入ると思うかもしれないし、それによって自分の望むものが得られると、今でもまだ少しは信じているかもしれない。しかしその信念は今、確かに揺らいできており、少なくともあなたがそれに疑問を持ち、それは本当は意味をなさないのではないかと疑うところまではきている。それはまだなくなってはいないが、かつて、あなたの心の中のいくつものくらい秘密の場所にそれをしっかりと固定していた根茎は、もはやなくなっている。

 

102−2−2〜

苦痛によって手に入るものなど何もない。それは何をもたらすこともなく、存在してもいない。それが自分にもたらしてくれるとあなたが思っているものはすべて、それ自体と同じく、存在していない。あなたはこれまで虚無の奴隷になってきた。今日は自由になって、幸せな神の意志とひとつにつながりなさい。

 

102−5

幸せでありなさい。なぜなら、ここにいるあなたの唯一の機能は幸せでいることだからである。

 

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