道の途中

私は献身しているんだろうか。

今月の勉強会の自分の映像を見ていて

話している自分が次の言葉を探しているような時

見ている私の中で出てきているのは

「私は献身しているんだろうか。。。」

だった。

勉強会中は出なかったのだけど

もやもやとあったのは感じていたのが

数日して出てきた感じ。

 

家族の中で激しいものが浮き出ることはあるのだけども

世界は薄く柔らかくなっていて

満員電車も、毎日の通勤も

新しい仕事も、新しい人間関係も

苦痛や面倒、といったような

以前だったらそう見たかもなー

というものがなくなっていて

むしろ、愛おしいというような視点で見ていることが多くなっていて

ここで手を打とう、みたいにならないように気をつけよう、

というようなことをリトリートの後くらいから思っていた。

それが、気をつけよう、よりも

私は献身をしなくなっているのではないか?

という言葉になって出てきた。

 

でも、私は基本的に、今はいつも全て尋ねている。

 

でも、献身していないんじゃないか。。。というのは出る。

 

のりこさんにメッセージをした。

「今は会社員やりながらもできる献身をしていくしかないんじゃない?

 

会社に行ってる人間じゃないし。

コースを学習している人間でもないし。」

 

!!!!

そうだ!

私は献身している人間でもないのだ!!

 

「Beingの自覚復活までには程遠く、心が麻痺して中毒しているから

その手前に

doerの状態から

Be done throughに移行して行ってる最中なんだよね

けど、

自分は行為者・何かをなしている人間だ

という習慣化された信念が上がっているんだろうね」

 

いつも自分は行為者ではないということを

繰り返し見ていたのだけど

まるでこびりつきの信念が出たみたいに感じて

なんだかホッとしたというか、よかった、と思えた。

 

行為者じゃないんだ、ということを本当に知ることができるのは

すごくありがたい。