2018.3.18

 

のりこさんの白状を見たとき、

即座に自分にも同等の隠しているものを

探し始めるのを見た。

追随しないといけない、

のりこさんにそんな白状があるのに

私はのうのうと、献身しかありませんでした、なんてわけないのだから

見つけ出し、間髪置かずに出さなくては

みたいな感じだった。

 

 じっと見続ける。

 

こっちの波に乗ったのだから、同じテンポでこっち側でいるために

このやりとりから脱落してはならない

何か白状することはないのか?見つけなくては!

こうしていれば勝てるんだ、みたいな感じだ。

やっぱり外を、差を見る、いやらしいボルを見つけてしまった。。。

 

通訳のサポートに関して、

申し出るか否か

ということについて

聖霊からやるよう促されたけど嫌だったし

怖かった。

内側からきているアイディアとはいえ、

誰かを探すという論調の中、自分たちがやればいいという

ことを言い出すのはものすごく気が引けた。

まるで、勝ちたいみたいだ。

いや、私はただ勝ちたいだけなのではないだろうか。

兄弟たちに裁かれるのではないだろうか

でしゃばるな

とかという考えが出続けた。

まだ何かは孕んでいるのかもしれない。

でも、あの段階では、聖霊に従うか否か、だったように思う。

だから、私は白状のメッセンジャーに参加しなくてもいいのではないか

ということにしておこうとしていた。

 

ドラマ「アンナチュラル」で、石原さとみちゃんが

「私たちは私たちの仕事をしよう」

と言うセリフがあって

なんかずっと引っ掛かっていた。

 

「私は私の仕事(赦し)をしよう」なのだと思う。

 

学習グループでともに学び合う兄弟たちの

気づきは、もちろんありがたい学びで

思いもかけず目を向ける機会であるし

兄弟の真摯な姿勢のおかげでこちらも崩壊していくことは

なんどもなんどもある。

私一人では到底やってはいけない。

喜ばそうというような言葉ではなく、

本当に感謝しかない。

だからこそ、

「私は私の仕事をしよう」

と思う。

 

これが、私にできる私の仕事(赦し)だ。

 

今できる分、隅から隅まで

隠すことなく正直に正直に見つめる。

聖霊の導きを信頼して見つめ続けます。

そして、御心に献身します。

どうぞ私を御心のままにお使いください。

 

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