2018.9.15
この10年ほどずっと、自分の名前をブランド名としていたのだけど
それは本当に前面に「私」を押し出すようにしていた
ということで
名のあるものでいるように、いるように
という生き方だったのだ。
いかにして広まるか、認知されるか
残るものとなるか、
どれだけ跳べるか。みたいな。
実際は、仕事がどうの、ではなく、私の思考、信念が
そのようなものだった、というだけのことなのだけど。
だからその仕事から退いても、思考の中にはずっとなんらかの
存在感を示せるものであるものであろうとするという欲求があった。
とにかくそれを燃やし尽くすように。
それが、聖霊が言いたいことのように7月からの職探しの中で言っていることだと感じていた。
名もなきものであるように、みたいな。
以前に雑貨店を開いていた友人がその店を閉じた後も
無店舗で何かをやろうとしていた時に
彼女のパートナーに
「〇〇ちゃんは、なんとかの〇〇さん、でなきゃいけないの?
ただの〇〇さんじゃダメなの?」
と言われた、という話が繰り返し思い出された。
この話を聞いた時も、なんだか人ごとじゃなく衝撃があったのだけど
なんだか、何者かであろることでなんらかの価値を(勝ち、でもある)を得られる
と本気で思っていたんだと思う。
名もなきものであろう。
だいぶ執着は薄れたとはいえ、
芸術の秋なので、展示のお知らせが目について浮上してくる
思考を捧げ続けている。