従う

葉山は案外遠い。

でも、仙台からよりも今はずっと近くになっている。

そしてこの件について、嫌だな、という思考が随分と落ちたようだ。

即座に返答をしていて

さらに道中も、喜びや嬉しさがあって

(それは、起きていることや自分ができている、

というような喜びではなく、全く現象とは関係のない、

ふつふつと沸き起こる喜びや嬉しさなんです)

あぁ、こうなりたくなかったのか、と

これまでの抵抗が露わに見えた感じがした。

言葉で言う、「従いたくないんだよね」

の理解を本当に理解した、と言う感じかな。

 

そこから一転、逆回転が始まったかのような怒りや憎悪が

噴出するということも起こり

これまでも闇が出るということは何度となく通過しているけれど

非常に強くて、本当に殺してしまいそうな、本当に破壊してしまうような

これに忍耐するのは、本当に忍耐が要りました。

癒えたのは、ある若いYouTuberの女の子の動画を何気なく見て。

その子のどこに、とか、何に、とか全く頭ではわからないのだけど

とても素直に見えた。

同時に、猛烈に素直になりたくない!という自分を見た。

そして、それを見ながら、

私は本当に本当に素直でありたい、と奥の奥の奥から心底そう思ったんです。

なぜこの時、カースティンやフランセスやデイビッドやのりこさんの動画じゃなく

彼女の動画だったのかわからないのだけど

あぁ、本当に素直でありたい、猛烈に素直でありたいと思った。

殻を被ったり、戦ったり

仮面を被ったり、言い張ったり

全部抜け落ちて素直でありたいと思った。

血液抜くみたいにね、全部抜いちゃってください。

 

従って生きる、ということが日々腑に落ちるというか

染み込む毎日です。