ガイダンス

今の仕事に就くとき、流れのような

サインのようなものがあって

もちろんレッスンもあったけど

だから、合ってるんだ、と思っていた。

ただその合ってるんだ

という見方は少し間違えていたなといま 思っている。

たしかにガイダンスだったとは思う。

だから、こんなに隠していたものが露わになっている。

絶対見ようとなんてしなかっただろうもの。

嫌で今すぐにでも無いことにしたいもの。

これを出すために"わたし"はこの会社に流れがあったのだとは思ってなかった。

”わたし”の思惑は、

いい仕事に導かれるみたいな獲得の下心丸出しの解釈で

この世レベルの解釈でガイダンスだと見ようとしていたんだな、と

勘違いしてたな、と思う。

 

でも、確かにこのこびりつきがあっては

にっちもさっちもいかないことは苦笑いしながらわかる。

わたしのガイダンスの解釈なんてもの、ちっともだったんだ。

 

だから

わたしは間違えたのか、とか

ガイダンスではなかったのか

だから以前だったらしないようなミスや

ただ確認しただけで

は?

と言われたり

1ヵ月そこらなのに、まだわからないのかと怒鳴られたりするのではないか

コースを知らなかったら、精神崩壊じゃないかと思う言葉や態度の暴力が日に数回あるなんて

コース学習者として失敗だとか

自我で仕事を決めたからこうなるのだとか

の思考が出て、

もうなにもかもわからなくなってしまった。

 

でも、社員が、その人が悪なわけではないこともなぜかとてもわかるのだ。

良いように見よう、みたいなことではなく

真ではないとわかる、というのかな。

あくまでも、わたしのためだろう、と思える。いや、最中には思えないけど、少し経てばそう思う。

 

でも、ものすごく泣きたい。

自分に泣かせてあげたい。

 

でも、これを妹は、なんの努力もしない、

すぐ逃げる甘ちゃんのダメなやつだと見るのだろうなと勝手に決めて、

身動きがとれない。

 

この出口は、祈ることと、聖霊に耳を全力で傾けることだけなのだろうな。自分を棄てて。