4月のリトリートの直前、

自己概念BのままAをスルーして

見たという体で

I AMに戻ろうとしていたということ

決してスルーしないのりこを盾にして

のりこさんから聞いた話を

直視はできていなくてもうっすら感じとることはできているから

見たという体で

自分は見たということにして

あたかも出来てるかのようにしてきたなと

実際はAを直視することなく認識もすることなく

自己概念Aをスキップして戻ろうとしかしていなかったんだ

これが見えたとき、ボーゼンとした。

 

のりこさんを盾にするのをやめないとな、と

4月にハッとしたのだけど

のりこになろうとしない、

ということとは違うことで

のりこの陰に隠れて

のりこがみたものを自分も見たということにして

自分が直接的に痛い思いをすることを

回避しようとしていたというようなことだし

のりこさんが言ってことと類似の話はするけど

自分が見えたことが、類似したものでなければ正解じゃないかもしれないから公開しない

というようなこともある。

いずれにしても、

いかに盾にしてきたか

ということをばんっと見たのは

ワンピースを読んでいたときだ 笑

 

***

「時間がねぇから覚悟が決まるってのも間抜けな話だがいい薬だよ。

今度はオレの意志でやってみようと思う・・・好きな様に

そうしたらもう逃げ場はねぇだろう?

何がドンへの忠義だ!オレは今まで、ドン・クリークの名を盾に逃げてただけだ

覚悟決めりゃあ敵が恐ぇだのテメェが傷つかねぇ方法だの

くだらねぇこと考えなくて済むことをその人に教えてもらったよ・・・」

***

 

この人が言ってることはわたしの感じたことと同じかどうかわからないけど

私には

真の自己の意志、つまりやりたい様にやっていくってこと

そうしたらもう、逃げ場もないし

覚悟を決めりゃぁ言い訳とか勝ち負けとかくだらないことに焦点が向かないってことで

要するに

わたしは言うほど覚悟が決まってなんかいなかった

ということがボーゼンとなるくらい見えてしまった

できることなら見ずにおきたかったけど。