愛への抵抗赦されることへの抵抗

9月のリトリートの最終日のシェアの時
じゅんじゅんからの愛が流れ込んで来た。

それはあたたかくて嬉しいものだった。

リトリート中、私は帰りたくて帰りたくて

居心地が悪すぎて地獄のようで

具合も最悪だし、けどそれは自家中毒みたいなものだから

とにかくファンクションをやるようにと叱られ

針の筵で四面楚歌みたいにしか感じられない中

じゅんじゅんに買い出しの時一緒に居させてもらったということがあって

私も彼女に感謝の思いがすごくあったから

嬉しかったし、ありがたかった。

嬉しいなぁと思って、ふわーっと溶けるような感じになった時

自分の内側にとんでもない

ぎゃーーーーー

という声にならない絶叫が飛び出てきた。

大好きだよーと頭を撫でてくれるじゅんじゅんの手を振り払いたい

と思っていることに気づいたが

口に出さずに

手を繋いだままでいた。

 

人々を喜ばせる、をしてしまった。

リトリート後はその罪悪感からこの話を口に出せなくなって

そのまま放置してしまった。

でも、時々思い出すから

やっぱり誰かに聞いてもらおう、聞いてもらいたいと思っていた。

 

数日前、じゅんじゅんに話させてもらった。

ただホールドして聞いてくれた。

じゅんじゅんは、今、自分がまさにそのぎゃーーーーな感じだと

話してくれた。

 

ずっと以前に観たテレビドラマで

猟奇殺人の犯人の女性が逮捕された時、刑事の女性が

連行される彼女を抱きしめた時(この女性刑事は犯人からターゲットにされていたので

加害者を抱きしめた、ということになる)

抱きしめられた殺人鬼の女性が

ぎゃーーーーと絶叫したシーンを思い出すのだけど

私は、愛を求めていながら、溶け合うことは恐ろしくて振り払いたくなってしまうんだ。

ライトな感覚だと、照れくさいみたいなものも含めて

愛や優しさに溺れないように溶けてなくならないように必死。

赦されるなんてことがあるわけない、赦されるって恐ろしい。

この狂いっぷりを私はもう放棄したいなぁ。

もう、この信念から剥がれたいなぁ。

赦されるって恐ろしいことではなくて

優しさや愛の中に溶けていくことへの抵抗を

捨て去ることができるようになりたいなぁ。