2016.5.17

子供の頃、父に何故か疎まれ、嫌われ、いろんなことが展開され、わたしも、辛い思いをさせる相手として父を憎悪していたけど、

コースにまだ出会う前、

わたしは実は父を愛しているんだ

とハッとしたことがあった。

理不尽なことをたくさんされてきたのだから愛するなんて割りに合わない、損失だ、

また、同じような苦しみを共有しているとしてきた母に対しての背信の思いだ、と、

即座に精一杯否定した。

コースで、神を父と表現してあるところを読むとき、初めの頃とてもイヤな感じを感じていた。

そのとき衝撃的にわかったのは、

わたしは父を嫌っていたのではなく、

父を恐れていたのではなく

神を嫌い、恐れていたのだ

ということだった。

このとき、コースに出会えてよかったと思ったけど、

そのためのこれまでだったようにも思った。

 

どちらにしても、人生において、懸案だった父とのこと、

ひいては家族とのことが、全てひとつの問題だったのだと、

この人たち、ではなかったのだ、とわかったことは、

筆舌に尽くしがたいありがたさだった。

 

いまもこの両面感情みたいなものは完全に癒えたわけではないけれど、

出てくるたびにそりゃ出てくるな、と淡々と

いや、淡々とではないこともあるけど、でも、聖霊に捧げている。。

父を神の代替としていて、愛してもいるが恐れてもいる。

 

罪があると信じているが、本当に神から離れることはできていなくて、

罪はないのだと、繰り返し自分に教えることが本当に大事だし、

やったと、罪があると信じている、ということを

ひとつひとつ認めることだなと思う。