2016.7.28
ふと、この家出たいが出れないなぁと泣きたくなった。
こういう、できないなぁみたいな考えが浮かんでも、
「わたしの力でなんとかできる」方法をすかさず考えたり、
でも、それが良いわけではなく、
今はこれで良いんだみたいなポジティブシンキングで突き進んできたりして、
泣きたい気分になっていることは「悪」みたいに思っていたから、
今みたいな、「泣きたくなった」のような書き方はこれまでのわたしにはありえなかったと思う。
でも、今日なぜかこの思いが出たときに、
これ、出てきてもいいやつなんじゃないか?むしろ、出さないとなんじゃない?と思った。
出れなくて泣きたい、と思っていることを、一旦認める。ということをわたしはしてきていなかったんだ。(だから、その先の赦しもなんちゃってになっちゃっていた)
そうか、隠蔽してきていたものが浮上してきている、ということかな、と思った。
あら〜そうなると、わたし、はっぱり(注:仙台弁でさっぱり。さっぱりよりも強めの時用いる)わかってなんかいなかったんだ!