2017.12.25

わたし、

 

「いい感じのわたし」

 

でいたいんだな。

 

となぜだか今朝、起き抜けに思った。

 

のりこさんになんどもA氏のことで

 

鼻水垂らしながら「あなたが必要なんです」

 

という姿勢にならなくては

 

というお話をされていて

 

そのことをすごくここ数ヶ月考えていた。

 

頭ではわかるんだけど

 

やりたくない。

 

負けたくない。

 

屈辱的だ。

 

というところから抜け出せない、どころか

 

抜け出す気もない、みたいな感じだった。

 

22日の勉強会を経て、

 

グレッグさんに(神に)イエスと言ったのりこさんが

 

この世的にはグレックさんとの関係があっという間に終わるということになっていて

 

始まりのときも、終わりも

 

それをただただ鼻水を垂らしながら受け入れていて(のりこさんごめんなさい)

 

それは、わたしの自我は

 

エスと言ったらこんな風に悲惨になる

 

みたいに言うのだけど

 

今朝のわたしには

 

少し、それが

 

平安であることがわかってしまったんだ。

 

それは平安に、しあわせになって行くことなんだ。

 

でも、、、と言う自分を見て

 

あぁ、わたし、「いい感じのわたし」がいいんだ、いいと思ってるんだ

 

と直面した。

 

そして、鼻水垂らすことを

 

受け入れようと

 

今までで一番思えた。

 

そうだ、昨夜、母に話したことで

 

何かが崩壊したことを感じたんだった。

 

母に話しながらガクブルしたのは初めてだった。

 

昨日の昼間、A氏がまたもやってくれたという件を

 

母に話したのだ。

 

あの人は仕事なのにいつも後出しジャンケンみたいなことばかりをする

 

今回は振込予定日の前日にゴタゴタ言い始まった。

 

しかも説明が自分の非を隠そうというところでするから

 

キレながらだし、視点が自分中心で

 

それなのに、配慮してやってるんだと言う。

 

こうなると、ありがとうなんて言わねーからなって思ってしまうんだよね、

 

と母に打ち明けた。

 

フランスの友人に送るクリスマスカードを買う時に

 

「A氏にも」

 

というのがやってきて

 

えー!紙で残るものを渡すなんてことしないほうが良くない?

 

とか

 

そんなもの渡したら、相手は調子に乗るであろうとか

 

カードを買って準備すること、書くことを

 

やめた方がいい、という思考が噴出したけど

 

カードを準備はしたんだ、しぶしぶ。

 

それで、書こうとしていた矢先のことだったから

 

カード、やっぱり書かない!って、自我的には、なる。

 

レッスンだよね、これ

 

と母に言った。

 

このところずっと、のりこさんに言われていたんだ、

 

あなたのおかげさまです、ありがとうございますっていう

 

ひれ伏すみたいな心の状態が必要だって

 

でも、わたし、したくないのよ

 

そんな屈辱的なこと、したくない

 

ありがとうって言うことだって屈辱的なことに思えるくらい

 

嫌なんだ

 

と、母に言いながら

 

ガクブルしながら

 

泣いた。

 

こんな風に母に吐き出して泣いたのは初めてだった。

 

こんな風な話し方はのりこさんや勉強会ですることで

 

母にすることではなかった。

 

母を下に見ていたんだ。

 

母に、ありがとうとハグをした。

 

 

さっき、A氏からメールがきた。

 

売上、ありがとうと彼は書かない。

 

振り込んでやるからな、みたいな感じだ、と思う。

 

また再び再燃する。

 

でも、少し、弱まってるみたいだ。

 

そして、その彼の様子は

 

わたしの心の姿だと思った。

 

 

外に批判するものを欲してるのはわたしでした。

 

もうやめたい。

 

批判ばかりしているよ、わたし。

 

どうぞ燃やし尽くしてください。

 

いい感じのわたし、を諦めたい。

 

どうぞ燃やし尽くしてください。