2017.12.24

長かったpop up storeも明日が最終日。

 

長かったなぁ、この道もあと1日歩いたら終わりだなぁ

 

などと思いながら駐車場から店に向かって歩く道すがら

 

景色を眺めていたら

 

突然、そうか、この景色は本当は必要ないんだ

 

回収しなくては!

 

というようなことがやってきた。

 

胸が熱くなって涙が流れた。

 

そして、夜にワプニク博士のビデオを見た時に

 

このことを思い出したのだけど

 

今朝のように、何もなくあたたかな思考に包まれる時

 

それを軽んじるというような傾向があるなぁと思った。

 

すごく苦悶して悶絶しながらのサレンダーは真理に近づけるけれど

 

そうではなく、自我的には「楽をして」

 

みたいなあぁそうか〜というのは

 

何か、よくないというか、足りないというか、

 

そんな見方がわたしの中にあるなぁと

 

それは、犠牲への信なのだなぁと思った。

 

犠牲を払うべきなのだ、いつもいつも。

 

犠牲を払わない学びは学びじゃない!みたいなのがあるんだなぁ。

 

のりこさんのように5時間嘔吐下痢をしていないから

 

わたしはダメだみたいな。

 

レイさんみたいに旦那さんとのシリアスな

 

取り組みなくやってきた、

 

胸がジーンと熱くなるこれは、さほどのものではないみたいな。

 

 

 

この、序列の差を信じたり

 

犠牲を信じたり

 

他を裁くということは

 

もう望みません、

やめたい!!

 

助けてください。