2018.7.10

本当は一緒に展示会をする予定だった仲間の

フライヤー作りを手伝うことになっていたので

そのための撮影をした。

「声」がこの仕事は終わりだと言った、と話した日以来。

撮影がひと段落して、みんなでお茶を飲んでいるときに

そういうのが聞こえるみたいなのはどんな風なのだ?という話になった 笑

今の状態をそのまんま話す。

二人羽織みたいなこと。

ただ、時々、「自分」の考えの方に行っているときはその声は聞こえなくなること。

去年、病院でとても幸せだったこと。などなど。

まさか自分がこんな生き方をするようになるとは思わなかったこと。

 

一人がこう言った。

「見えないものの声みたいなものが聞こえたりするような人の話って

なんか、たまに聞くこともあるけど

大抵、とてもすばらしいもの、特別なもの、みたいで

聞いていて、胡散臭いな、みたいに敬遠したくなるんだけど

shokoちゃんの話だと、なんだかとても日常で普通な感じで

そうなのかーって聞ける。

すごく、普通なんだね。。」

 

このとき、そうか、そういうことなのか、

自分がありのままでいることはこういうことのためなのかもしれない

隠れないって、こういうことなのかな。

自分を隠したり、偽ったりしながらいるのではない、在り方って

そうしているつもりだったけど、

実は全くしていなかったことがわかって

隠したり偽ったり、

その話をするにも、防衛したり、力説したりしなくてもいいって、

嬉しいなぁとすごく思った。

 

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