2018.10.16

リトリートのフル参加の覚悟を決めたものの

 

やっぱり自分の今の状態、みたいなものを見て

仕事よりもリトリートを優先するなんて

どうなのよという思考は

テロップのように出るわけです。

実際、諸々支払いもあるし先立つ物は必要、というのがやはり手放せず

聖霊に、いろいろあるんですよ、一体どうしたらいいんですか

とか、教えてくださいとか助けてくださいと

お願いし続けていたら

友人の名前が何度も浮かぶので

その人に連絡を取りました。

親しい友人でしたが、同じような仕事をしているので

自分は廃業にした、という話をすることが嫌だ、という思考から

あまり会いたくない、という風になっているな、と自分のことを見ていました。

でも、その人にトルソーは必要ないか、ということを聞く

という感じがしたので

聞いてみると、要る、というので

届けがてら、少し話をすることになりました。

 

会って、正直に話をしていると、

彼女は、あなたはよくやったし、素晴らしかった

それは消えない、と言って讃えてくれ、涙まで流すんです。
なかなか道具を整理できずにいる、という話をしたりしていて

中でも一番大きいプロ用の裁断机を

どこでどのように譲渡すればいいのか決めかねているという話をしたりしました。

すると、欲しい人がいるかも、とすぐに連絡を取り始めて

15分ほどで話がまとまってしまいました。

プロ用の裁断机は、自分の仕事の象徴のような感じを持っていたので

手放してしまうと、何か大きなものが消えてしまうような感じがして

ためらっていたというか、先延ばしにしていたようなところがあったのです。

あっけなく決まり、それも2日後には取りに来ることになって

バタバタと片付けて引き渡しました。

160×90×70という大きな机だったので

一気に部屋がガランとなりました。

終わっていっているな、という一抹の寂しさのようなものが

ないわけではないのですが

なんだか嬉しいような気持ちがあるんです。

これがなんだかすごく変な感じで。

嫌々やっていて、または苦しかったから、辞められて嬉しい

というような嬉しい、

つまり、人間が喜んでいる嬉しいじゃないんですよね。。

だって、私個人の考えとしては嬉しいものではないですから。

でも、奥の方から静かにあたたかく深く、喜びがわいてくるみたいな感じの嬉しい、なんです。

でも、嬉しい、という感覚を持つのはおかしい

とか、それじゃまるで、自分が嫌々やっていた人とか

肩の荷が降りてホッとした人みたい

というふうな思考を投入して

喜びや幸せから遠のかせようという力動が働いて

嬉しいという感じ方を責めようとしている、ようです。。。

嬉しい、は、スピリットが喜んでいるんじゃないかな。

幸せでいていい。

 

フランセスも言ってた。

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