パリに着いた日の夜に書いて下書きに入れたままだったブログ

ラファエルに届け物を持って

Parisに来て、無事にシャルルドゴールで

渡すことができた。

 

Paris行きが決まったのは

1月に入ってから。

これまでも何度もいつにするか、

11月はどお?12月はどお?

6月にする?

と話はでていたのだけど

わたしが落ち着かなくて決まらなかった。

12月に腹をくくって移住した途端、

2月に決めるよ、と言われて

決まったばかりの職場に

まだろくに仕事もしてないうちから

2月に休みをくださいと言うようにと

妹から指示された。

 

4月のリトリートの準備や

チームの仕事が忙しいし

パリに旅行に行くって

なんだか快楽みたいで、

どちらにしても罪悪感がわくので

しばらく誰にも言わないでいた。

 

1月はラファエルのエアーの問い合わせをすることが何度もあったのだが

帰国が近くなってきた頃

機内持ち込みをもう一つどうしたらいいか、

みたいなことの問い合わせをしていて

2回目くらいのやりとりの時に

これは、わたしが持っていけるのではないか?

というアイデアがやってきて

危険を感じた 笑

嫌だな〜という感じ。

少しの間、運ぶ、というアイデアは放置したのだけど

Parisに行くこと自体を

オープンにすべき人にしていないことが

気持ちが悪かったので

役割自体を引き受けるかどうかと関係なく

わたしは2月の後半にParisにいくことをのりこさんに報告した。

 

行くことを報告することも勝手に恐れていて

パリに旅行に行くなんてもってのほか、みたいな裁きがあり

罪悪感があり

字幕やリトリートの準備で忙しい時期でもあるし

自分だけ外れて置いていかれるような不安や恐れがあったし

実際、運ぶということを引き受けるなら

妹に話さなくてはならないという恐れもあり

また、面倒なことは嫌だなとかいう思考もあった。

これらを見つめ続け、その奥に取り組まないとなので、少し時間がほしい、と話した。

もちろん、のりこさんからは、運べるならお願いすることになるかもしれないけれど

ラファエルにも話して祈ろう、と言われた。

そして、もし、お願いしたい、ということが出たとしても、わたしの家族が難色を示すなら

無理をしなくてもいい、ということではあった。

 

わたしにとっては、妹に話を切り出すことがまず難しかった。

怖かったのだ、どういうわけか。

とにかくわたしは、彼女と敵対している状態を作り出し、それを維持することで

内側を向くことから気をそらし続けようとしているなぁと見えていた。

しばらくの間自分の信念、言い分を出るだけ出させる期間が必要だったけれど

どうやら間違いなく、ラファエルに届けるということはやるみたいだなと思いました。

言い分を出るだけ出させた頃、

わたしが持って行きます、とのりこさんに

連絡した日

ラファエルがのりこさんに、

そういえばショウコは時々Parisに行くんだよね

と言ったと聞いて

これはやっぱり聖霊の指示で、カリキュラムだねとのりこさんと確認しました。

 

上海の撮影に行くときのメンバーに起きた色々を垣間見ていたので

わたしも何か起きるのではないかと思っていたのだけど

誰も機内持ち込みのバッグについて何も言わないので

何の問題も無く飛んで、シャルルドゴールに着き

無事にラファエルに届けることができた。

何もないに越したことないはずなのに

運ぶ任務ていっても、なーんにも障害無く、

私の手荷物だーれもなーんにも言わなくて、無事過ぎる!

上海のときみたいな何かレッスンとなるようなのがないと、果たした感じにならないから、ファンクションを果たした私、という価値が上がらない、という思考が出て、
ただ運んで任務を遂行できてしまって、

あとは旅を楽しむだけてなって、

楽しんじゃいけないんじゃないかという罪悪感が出てきた。
役割ををこなした感が必要で、

そういう何かがあったから、だから、旅行を楽しんでいいんだよね、という信念があって
犠牲を払ったから、被害や苦労を超えたから、楽しんでもいいという思考の信仰、みたいなものと見えた。
字幕やリトリートの食事の試作に忙しいときなのに、という罪悪感もある。

犠牲の上にこそ成り立つということを信じているんだな。。

もう、それを信じ続けるのはやめたい。

ずっと聖霊に言い続けている。