今の職場に移る時

条件は勤務日数が週3とか週4でも大丈夫で

それも自由にできることだったのだけど

それは、例えば撮影とか合宿とかのスケジュールが取りやすいからだったので

いつもいつもじゃなくても本当はいいってい事になる。

だけど、なんとなく、普段から週3くらいのシフトを提出する感じがして

たまに週4の週を作るけど

ほぼ週3でシフトの申告を提出していて、いつも希望通りになっている。

でも、特に合宿やファンクションがあるわけでもないし

いや、それよりも私が真我なるハートや映画プロジェクトから

離れていたくなってしまっているから

週5でもいいというか、むしろそうすべきじゃないか

という思考がよぎる。

よぎるけど、週3という感じがするから、週3で働いている。

ゆっくり休めてとてもありがたいし、嬉しいのだけど

罪悪感も十分湧いてくる。

当然給料も減るし

扶養内で働く人でもないのに週3なんてふざけてるんじゃないか

フルで働くべきだろうとか

休んでばかりいないで給料を増やさないといけないんじゃないかなとか

貯金しなきゃいけないんじゃないかなとか

という思考が頻繁にやってくる

 

今日も、やっぱりもう少しシフトを入れるようにしないとかなぁ

という思考がやって来た時

「私が働いてお金を得ている、

って思ってるんだな」

ということが浮かんだ。

自分が週5働くからお金がもらえる、というこの世のロジックみたいなもの。

完全にこの考え方が染み通ってるなぁ。

真には、聖霊が与えてくれている、ってことなんだったよなー。

と思ったら、なんだか心がのびのびした感じになった。

与えていただいているってことを自分に繰り返し思い出させ続けたいな。

仕事という形からだろうが、

どこかから、という形だろうが

己がなんとかしたから得ているのではなく

それを通して聖霊が与えてくれているんだ

いつも、いつも。

のりこさんは、確か、

「与えたがっているんだよ」と

言っていたな。。。

それはお金なんていう限定されたものではなく、

幸せを与えようとしているということだったと思う。

それにおいて、お金も人もものも、必要なものは完全に準備されるのだろう。

 

私は、今、自分の週3というなんともわがままというか

頑張りが足りないというか

ぐうたらな感じではダメだろうと思ってしまうのだけど

この裁きを止める必要があるのだろうな。

現に、家族はなーんにも言わない。

むしろ、そうしな、そうしな、と言ったと思う。

ありがたく、この生活をさせてもらっているのだ。

ありがたいな。

こんなんでいいのかな。

いや、いいんだよね。。。

ありがとうございます。

(ここを終えて、次にいく感じも感じ始めているのだけど、

これについてはもう少し見ていこうと思っている)